前回のコラムで、ティルトの考案者はマルローではないと報告しました。それだけでなく、コンビンシング・コントロールもマルローではないと書きました。いずれも長い間、"Marlo's Tilt"や"Marlo's Convincing Control"と記載されてきたものです。技法名と考案者名が一心同体のように扱われてきており、広く世界中に知れわたっていたことでした。今日では、ティルトはダイ・バーノンが考案したものとされ、デプス・イリュージョンの名前もよく使われています。また、コンビンシング・コントロールはラリー・ジェニングスの考案であることが分かってきました。 |
ティルトは、デック中央に入れたカードを、トップやトップから数枚目より取り出す現象が可能な技法です。すり替えではなく、本当に中央に入れたカードで行えるのがすごいところです。なお、ここでは、ティルトの状態や方法については触れないことにします。 |
今日では、19世紀のホフジンサー(1806年〜1875年)が、この概念を考えた最初の人物とされています。しかし、それは、トップカードを少し横へ押し出し、その下へ入れてしまうだけのものです。特定の条件がそろわないと成立するものではありません。また、これをティルトの最初とすべきかどうかも考え方の分かれるところです。 |
1980年代前半までは、ティルトといえばマルローの名前がクレジットされていました。結局、20年以上も、この状態が続いていたことになるわけです。ところが、1980年代後半は、マルローからバーノンへクレジットが移行する過渡期といえます。また、二人の名前が混在していた時代でもあります。 |
1977年に、カール・ファルブスは"The Pallbearers Review Close-up Folio 10"を発行しています。それは、4回目のダイ・バーノン特集号であり、ティルトの概念の歴史経過を報告しています。ティルトの考案者がマルローではないことを、はっきり書いた最初の文献といえます。そこには、バーノンに至るまでの四つの方法が紹介されています。ただし、エドワード・ビクターの方法以外の三つは、今日では意味を持たないものと言ってもよいでしょう。しかし、順番に紹介し、私の意見も加えさせて頂きました。 |
1977年のファルブスの発表があっても、実際に本の上で、バーノンの名前が中心となり始めるのは、それから10年以上もたってからです。そして、ティルトを歴史的に研究する上で重要な文献が登場します。1992年に発行されたJon Racherbaumerの"Full Tilt"の本です。1991年にマルローが死亡して、ティルトにおけるマルローを擁護すると共に、ティルトについて発表されたいくつかの文献を見直してまとめた本です。 |
上記の"Full Tilt"の本が発行された1992年頃、まだ、ホフジンサーとティルトの関係については何も触れられていませんでした。その後、「ホフジンサー・カード・カンジャリング」の本が見直される中で、関連性が指摘されるようになったものです。前にも書きましたが、この本の再版は1973年ですが、広く普及するようになるのは、Dover社から1986年に発行されるようになってからです。その本の89ページには、"Remember And Forget"のマジックが解説されています。そして、その中で、ティルトの原点となったといわれる、単に2枚目へ入れるだけの操作が、2回使用されているのです。なお、この操作が、どの程度通用するものなのか分かりません。演者と客との位置関係が、成立しやすい条件にあったのでしょうか。 |
ティルトの操作だけで十分ですが、ティルトをさらに補強するためのアイデアがいくつか発表されています。実践的で代表的なものを紹介させて頂きます。 |
1.ワンハンド・ティルト・ゲット・レディー |
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本来は両手を使ってティルトの準備をしますが、それをデックを持った左手だけで行うものです。マルローをはじめ数名のマジシャンが、独自の方法で行っています。文献上で、最初に詳細が解説されたのは、1976年の「カバラ3」においてです。Jon Racherbaumerが解説しています。 |
2.Howard Schwarzmanのアイデア |
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デック中央へ内エンドよりカードを差し込むとき、1枚または数枚のカードに当てて、前方へ数ミリ、カードを押し出す操作をします。本当に中央へカードを入れようとしていることが強調出来ます。1962年のマルローの「ティルト」の13ページには、Charles Aste Jrのアイデアとして掲載されています。それをカール・ファルブスが、Schwarzmanのアイデアとして紹介したものです。ファルブスによると、1961年5月27日に、Schwarzmanがバーノンからデプス・イリュージョンを見せられたとしており、その時に、このアイデアを提案したと報告しています。 |
3.コンビンシング・ティルト |
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1980年の"The Last Hierophant"に、ダローの方法として発表されています。左手のデックで、ワンハンド・カットするかのように左サイドの中央部を開いて、そこへ右手のカードを入れる操作でティルトを行う方法です。 |
4.ティルトを行って、インジョグ状態に保ったカードの表を見せる方法 |
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デックを持った左手首をかえして、デックを垂直状態にして、下方に突き出しているカードの表を客に見せるものです。すばやく何気なく行います。1997年にハリー・ロレインがDoug Edwardsの本を発行した時に、Ken Krenzelのアイデアだと思うといった疑問形で書かれていました。 |
5.ティルトの後、インジョグ状態にあるカードを見せる方法 |
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インジョグ状態にあるカードを見せることにより、ティルトを行った形跡をなくし、中央へ入れつつあることを納得させることが出来ます。2003年9月号の"Magic"誌において、Jushua Jayが"Bebel on Tilt"を解説されていますが、その中で、このアイデアがアスカニオの方法として報告されていました。ただし、アスカニオの方法は、2003年段階でも、まだ文献上には発表されていないそうです。なお、Bebelはその発展形として、面白い見せ方を二つ発表していました。 |
ところで、1970年に日本においても、加藤英夫氏により「ティルトの研究」が発行されています。その中には、沢浩氏によるアスカニオの発想と同様なアイデアが、すでに発表されていました。アスカニオの方法は、具体的にはどのようなハンドリングで行われているのか分かりませんが、沢浩氏は錯覚を起こさせる巧妙な方法で行われていました。こちらの方が、アスカニオよりも、はるかに先だといえますが、海外に発表されていなかったのが残念です。 |
1970年のJon Racherbaumer著によるマジック誌"Hierophant 3"に、マルローの方法として、「コンビンシング・コントロール」が発表されています。これを考案して記録した年月を、1966年6月としています。この方法を考案する元になったものとして、マルロー本人以外の誰の名前も書かれていません。マルローが1966年に"The New Tops"に発表した"The Prayer Cull"を元にしていることが報告されています。 |
ラリー・ジェニングスの考案であることが、はっきり書かれたのは、1986年発行のマイク・マックスウェル著「ザ・クラシック・マジック・オブ・ラリー・ジェニングス」においてです。「プロブレム・ウイズ・ホフジンサー」のマジックに、彼の方法が解説されており、マルローの方法との関わりについてコメントされています。マルローのコンビンシング・コントロールは、ジェニングスの方法が初めて印刷化されたものであると書かれています。「エキスパート・カード・ミステリー」の本の作成にあたり、アルトン・シャープがジェニングスに会った時に、アウトジョグするこの方法を見せられ、その後、マルローへ伝えられたものとしています。なお、シャープの本に、この方法は解説されませんでした。マックスウェルの本によると、ジェニングスの方法は"Immediate Bottom Placement"と名付けられ、原案者はホフジンサーとしており、アウトジョグすることが加えられたものとして報告されています。 |
今回、ティルトの報告が中心となり、コンビンシング・コントロールに関しては、要点部分だけの報告となりました。カルからコンビンシング・コントロール、そして、その後の変化について、機会があれば報告したいと思います。 |