J.N.ホフジンサーと言えば、1800年代中頃のオーストリアで活躍したマジシャンで、カードマジックの父とも呼ばれています。現代のカードマジックや技法に多大な影響を与えたマジシャンで、多数のカードマジックを考案されています。その中でも、今日、多数の改案作品が発表されているのが「ホフジンサー・エース(または、フォーエース)・プロブレム」と呼ばれているものです。しかし、驚くべきことは、この現象の作品を、ホフジンサーが演じていた形跡がないことです。つまり、ホフジンサーが考案していないのに、彼の名前が付いたタイトルとなっています。このことが分かった時の驚きは特別でした。何故、このようなことになってしまったのでしょうか。この謎の追求と、この現象の成立までの経過を調べました。また、その後の変化発展についても調べましたので報告します。 |
現在、このタイトルで演じられています現象は次のようなものです。
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今回のテーマのタイトルを「ホフジンサー・エース・プロブレム」としています。各作品の解説の中で、何を元にした現象であるのかの記載で、この名前を使っていた本が一番多くありました。このことにより、ここでは、このタイトルを使ったわけです。しかし、「ホフジンサー・フォーエース・プロブレム」も、それに近いぐらい使われていました。また、「ホフジンサー・エース・トリック(イフェクト)」も割合使われています。もちろん、何も記載のないものや、ホフジンサーのイフェクト(プロット)やプロブレムと書かれているだけのものもありました。
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1978年発行の Jon Racherbaumer 著 "Arch Triumphs" には、このことの疑惑が報告されています。タイトル名として "About The So-Called Hofzinser Problem" となっています。 Ottokar Fischer によるホフジンサーのカードマジックの本には、この現象が記載されていないことが報告されています。それに対して、1937年のエドワード・ビクターの本に、同様な現象の作品が記載されていることをあげています。そして、カール・ファルブスに対しては、この作り事(フィクション)の普及者であると批判しています。また、1990年の Racherbaumer 著 "Cardfixes" では、ファルブスによりでっち上げられた「カード・プロブレム」といった手厳しい表現になっています。
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私が調べた範囲で、最も早い時期に、この現象を発表していたのは、イギリスのエドワード・ビクターです。1937年発行 "The Magic of The Hands" の中で、The "Deo Ace"Trick のタイトルで発表されています。カール・ファルブスが書いていたのとほぼ同様なシンプルなタイプの現象です。4枚のエースの中で、客のカードと同マークのエースが、客のカードに変わるだけの現象です。将来、新たな発見があれば別ですが、現段階では、エドワード・ビクターが原案者と言ってもよいのではないかと思っています。
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ホフジンサーの考案として実証するものがないのに、そのまま、ホフジンサーの名前が付けられていることに関しては、ホフジンサーについて、もっと調べなおす必要がありそうです。1910年にホフジンサーのカードマジックのドイツ語の本"KartenKunste" がOttokar Fischer により発行されます。そして、1931年にS.H.Sharpeによる英訳版として出版されます。そこには作品解説だけでなく、ホフジンサーについてや、この本が完成するまでの経過、そして、英語版が出される経過についても触れられています。
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1969年にカール・ファルブスが、「二つの解決されていないカード・プロブレム」を発表していることは、既に報告しました。しかし、その時は、何故二つだけだったのでしょうか。18もあると思っていなかったのでしょうか。1969年当時、一部のマニアの間で話題になっていたのが、この二つであったのだと思われます。その一つの、指輪を使ったカードマジックは、18のリストにある現象です。ところが、もう一つの現象がリストにはありません。それが、今回のテーマの作品となるわけです。バーノンはホフジンサーの作品として手紙で読んだことがあるとJack Avisに告げていたように、バーノン周辺で、この現象がホフジンサーのものとされていたようです。それをカール・ファルブスは、その裏付けを得ないまま、ホフジンサーのプロブレムとして公表してしまいます。なお、1965年のイギリスにおけるマニアの集まりでは、Jack Avisがバーノンに言われたように、ホフジンサー原案のものとしてAvis の作品を演じ、話題となっていたようです。このことは、1991年発行のエルムズリーの本の253ページに記載されていました。
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1887年イギリスに生まれ、1964年に死亡しています。スライハンド・マジシャン、そして、影絵師でもあります。父親がロンドンのホテルのマネージャーであり、スイス出身でもあったことから、エドワードは若い頃に、スイスへ修行に出されます。ホテル業務だけでなく、語学の習得もかねてのことと思われます。そこで、フランス・マジシャンからマジックを教わることになります。マジック書もよく読まれており、中でも、1910年のドイツ語版のホフジンサーの本には、特別な思い入れがあったようです。1937年に「マジック・オブ・ザ・ハンド」の本を発行しており、42年と45年には続編( More,Further )を発行しています。また、1953年から54年にかけての Willane の数冊のパンフレットにも作品解説があります。これらは、バーノン、マルロー等、多くのマジシャンに影響を与えた本です。
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今回のテーマの最初となるエドワード・ビクターの作品は、客のカードと同マークのエースが入れかわるだけの非常にシンプルなものでした。これを改案したJack Avisにより、客のカードやエースがひっくり返る現象が加わります。その後、発表される改案は、Jack Avisの現象を違った技法と操作方法にしたものが多くなります。
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結局、この現象がホフジンサーのものであると証明する記載物が、見つかっていないことがはっきりしました。そして、ダイ・バーノンが読んだ手紙の内容の記憶だけが、ホフジンサーのものとしている根拠であることも明らかになりました。また、正しくない情報を広めて、その後、混乱させるきっかけを作ったのがカール・ファルブスです。この現象が書かれたホフジンサーのプロブレムが、実際に存在するかのように公表してしまったからです。しかし、そのことが、多くのマニアを刺激して、多数の改案が発表されるきっかけとなったとも考えられます。もちろん、現象自体が、多くのマニアの興味を引きつけるものであったことも見逃せません。
1990年代以降、多数の古い本や雑誌が再版され、古典が見直され、研究されて、原案者名の修正も多く見られるようになりました。今回のテーマの現象も、各作品のクレジットの部分で、ホフジンサーのものであることの疑問の一文が加わるようになりました。しかし、原案者として、エドワード・ビクターの名前まで言及している本は、まだまだ、ないのが現状です。今後は、原案者をホフジンサーのままにして、ホフジンサーの第2(または、第1と第2)のプロブレム(今回のテーマの現象と少し異なりますが)を原案とするのか、エドワード・ビクターを原案者とするのか、動向が気になるところです。 |