2011年9月号のGenii 誌を読んで驚きました。20世紀のクロースアップ・マジック界における最大の謎の一つを取り上げていたからです。1902年に発行された "Expert at the Card Table"(以下、エキスパートの本と記載)の謎の著者の正体を取り上げた特集号となっていました。エキスパートの本は、20世紀を代表するクロースアップ・マジシャンのダイ・バーノンが、最も大きな影響を受けた本であり、カードマジックのバイブルとまで言われています。この偉大な功績を残した本の著者が、誰であるのかが謎のままでした。本での著者名は S.W.Erdnase(以下、アードネスとも記載)となっていますが、そのような名前の人物は存在していません。また、奇妙なことに、最近まで我々がアードネスと思っていた人物のことではなく、Wilbur Edgerton Sanders(以下、W.E.Sanders、 または 、サンダースとも記載)がアードネスとして報告されていました。1990年代からは、アードネスの正体が、プロのイカサマ・カードギャンブラーの Milton Franklin Andrews(以下、M.F.アンドリュースと記載)で確定したような状態になっていました。彼はエキスパートの本を発行した3年後に、殺人犯として警官に追いつめられ、最終的には自殺した人物です。それが、どのような経過で、別の人物のサンダースに変わったのでしょうか。また、サンダースとは、どのような人物でしょうか。幸いにも、アードネスが誰であるのかの謎の追求の各種資料がそろっています。よい機会ですので、全体を見直してまとめることにしました。また、エキスパートの本の内容についても、徹底的に調べ直しました。プロのイカサマギャンブラーが書いた本ではなく、鉱山技師で作家のサンダースが書いた本として読みますと、いくつかの納得出来る点がありました。全てを報告しますと、かなり長くなりますので、要点と私の興味ある点を中心に報告させて頂きます。 |
1902年に発行された、カードのイカサマギャンブル技法と、マジックのカード技法を中心に解説した本です。最後の部分では、14作品のマジックも解説されています。日本語版は1989年に浜野明千宏氏が翻訳され、「プロがあかすカードマジック・テクニック」として東京堂出版より発行されています。数年前にも再販されていますので、まだ手に入る本です。問題は100年以上も前の本であり、イラストはあるのですが、読み始めると難解な印象があることです。しかし、初心者には難解でも、一定の経験と技術が向上して読み直すと、その度に、新たな発見のある本です。奇妙な点は、アードネスの人物名や著者名が、この本以外には存在していないことです。また、この本が発行された1902年以前や以降に、この著者らしき人物が、全く見当たらなかったことも謎でした。このエキスパートの本の全体的な内容については、また後で報告することにします。 |
エキスパートの本から著者をプロファイリングすると、どのような人物像が浮かび上がってくるのかを調べたのが David Alexander(以下、アレキサンダーと記載)です。彼はスタートレックの中心的制作者の一人であった人物です。彼の調査結果は、1999年のロサンゼルスのマジックの歴史の大会で報告されました。その報告内容は、2000年の Genii 誌1月号に発表されています。エキスパートの本から、その著者をプロファイリングした結果と、友人にも同様にプロファイリングしてもらった結果から、、共通した項目を取り出しました。アードネスは論理的で分析能力のある著者で、文章や編集の能力から、エキスパートの本以外にも本を発行している可能性が考えられました。使用単語から、ラテン語やドイツ語、フランス語を学んだ可能性が高く、大学を卒業している学歴も想像出来ました。そして、アードネスといった特殊な名前をつけたのは、アナグラムである可能性が高いことも意見が一致しました。
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ここでの記載は、アレキサンダーの報告を元にしていますが、分かりやすくするために、私の脚色も少し加えていますのでご了承下さい。W.E.Sanders は父親や家柄の関係で、著者であることが絶対にばれてはいけない状態にあったわけです。しかし、後でも報告しますが、エキスパートの本から受ける印象は、緻密さと巧妙さです。また、彼の日記から、文字遊びに興味があったことが分かっています。そのような著者の考えであれば、著者名も、自分の名前の9文字を元にして、アナグラムにこだわったことが推察出来ます。また、本当の名前がばれない自信もあったと思います。
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エキスパートの本のタイトルページのタイトルに「アンドリュースは技巧(ごまかし)」のメッセージが入っていたことには驚いてしまいました。このことを報告していたのもアレキサンダーです。これはすごい発見ですが、細部で少し違った見解を私は持っていますので、その点も含めて報告させて頂きます。
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タイトルページには、もう一つの重要な秘密が隠されていました。タイトルと著者名の下に、逆ピラミッド(正確には逆台形)状に9行もある長い文章があります。これも、初期の本だけに書かれていたものでした。この9行に少し操作を加えるだけで、縦の一列に、本当の著者名であるWESANDERS の文字が並ぶことが分かりました。文章の内容は、ギャンブラーやマジシャンによる技法の全体を解説していることや、M.D. Smith による100以上のイラストが描かれていることが書かれています。2011年の Genii 誌10月号の Richard Kaufman の記事で、この9行の各配列をずらすと、縦に WESANDERS が一列に並ぶことが紹介されていました。2011年8月20日の Genii Forum で Carlo Morpurgo が報告していたものです。
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著者の複数説は、かなり多くの研究家により信じられていました。プロのギャンブラーがマジックの技術や作品を解説するとは思えなかったからです。また、前半のカード・ギャンブルの技法の考え方と、後半のマジックの部分では、少し違った印象がありました。ギャンブルの技法では、動作の一貫性や気づかれないことを強調しています。それに対して、後半のマジックの部分では、そのことよりも、セリフや現象面を重視しているからかもしれません。プロのギャンブラーが、マジックのセリフや面白くする工夫を考えているイメージがわいてきません。不釣り合いです。さらに、重要なもう一つの理由があります。本の文章が、複数のWeを使って、我々の考えといった表現で統一していたことです。
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アレキサンダーの報告で、さらに興味深い点がS.W.E.シフトです。これは、S.W. Erdnase のイニシャルであるのと同時に、本当の名前のW.E. Sanders のイニシャルのW.E.S.を入れ替えただけのものでもあるわけです。エキスパートの本では、このシフトをイニシャル入りの名前にしたのは、大物が現れたからではなく、単に名前をつけただけと謙遜しています。しかし、もっとも自慢したい技法であったはずです。そこで、自分の本当の名前に関連した技法名にしたのではないかと思ってしまいました。
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アードネスとは誰なのでしょうか。そのような疑問が早い時期からあり、ダイ・バーノンもその疑問を持っている一人でした。その頃より、アードネスは本当の名前ではなく、逆にした E.S.Andrews であるといった説が知られるようになります。エキスパートの本の第2版の発行者である Frederick J.Drake に著者のことを尋ねた時に、はっきりとは答えずに、著者名はアナグラムだろうと言ったことが元になっているようです。なお、初版の発行者は著者となっていました。
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1991年には3冊のアードネス関連の本が発行されたと報告しました。2冊は上記で紹介しましたが、3冊目が Thomas Sawyer 著 "S.W.Erdnase Another View" です。アードネスを M.F.アンドリュースで確定するのは問題があるとして、1991年発行の上記の2冊の本を再検討して、自分の考えも含めた本です。この本は1997年に加筆され再販されています。そして、大きな転換点が1999年のロサンゼルスのマジックの歴史大会です。イラストを描いたスミス氏との手紙の内容やその頃の経過を、マーチン・ガードナーがまとめた "The Gardner ー Smith Correspondence" が発行されます。この発行を担当したのが、マジック書専門店の H&R社の Richard Hatch で、この原稿を読んだ Hatch は、M.F.アンドリュースがアードネスでない確信を強めます。そして、それを否定する理由と彼以外の可能性がある二人のアンドリュースについて大会で報告しています。その一人は 、法律家のJames DeWitt Andrews で、Jamesの前3文字とDeWittを削除しますと、ES Andrewsとなります。二人目は、鉄道会社員の Edwin Sumner Andrews です。彼の報告は、1999年12月号のMAGIC誌に掲載されています。さらに、アレキサンダーも M.F.アンドリュース説を否定し、この歴史大会で W.E.Sanders説を発表しました。
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20ページにわたる長い報告ですので、その中でも、私の興味が強い点だけを報告させて頂きます。W.E.Sanders は1861年生まれで、1935年に死亡しています。2才の時に家族と共に米国北西部のモンタナへ移り住みます。14才での日記には、自分の名前を使った文字遊びをしていた形跡があります。家庭でラテン語、ドイツ語、フランス語の個人指導を受けています。17才で、東海岸の名門のアカデミーに通いますが、ラテン語を含む語学の厳しい学院のようです。1879年夏には、ギリシャ語やラテン語とドイツ語の語学スクールに通っています。これらの語学の教育についてはアレキサンダーの報告から抜粋しました。1881年から鉱山技師となるためにコロンビア大学へ通い、85年に卒業しています。20才頃の日記には、"MUTUS DEDIT NOMEN COCIS"が書かれていました。これは、その頃のマジック書(モダンマジック やその他)に解説されていた4X5に20枚のカードを配列して、2枚ずつ覚えた数名の客のカードを次々に当てるマジックです。最初の3文字がラテン語にある単語ですが、4文字目は意味不明です。なお、彼の兄弟は、ハーバード大学を卒業し、モンタナで突出した法律家となります。
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これまでは、エキスパートの本をプロのイカサマギャンブラーが書いた本として読んでいました。そのために、プロの世界ではそのようなものだと、一方的に受け入れるしかないと思っていました。しかし、アードネスが W.E.Sanders としますと、大きく状況が変わります。プロのギャンブラーでもマジシャンでもないからです。そのことを前提にしてエキスパートの本を読み返しますと、納得出来る記載が次々と見つかりました。そして、新しい発見もありました。特に、彼の語学的才能と用語のこだわり、鉱山技師への大学に進んだ理工学的才能、そして、政界の父親や法律家の兄弟とは別の道を目差した独自性と開拓者精神の点からも面白い発見がありました。ここで各作品や技法のコメントを書きますと、かなりのボリュームになります。それだけで1冊の本が出来そうです。そこで、ここでは、全体的な特徴と、特に興味があった部分だけを限定して報告させて頂きます。
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今回の調査により、アードネスは W.E.Sanders と確定しても良さそうな印象を持ちました。彼がアードネスである可能性を感じられる報告ばかりで、否定する要素がありませんでした。少なくとも、否定要素の多い M.F.アンドリュースよりは、はるかに可能性が高いと思いました。しかし、決定的な証拠が見つかっていません。エキスパートの本以前の彼の日記やノートに、Erdnase と書かれてあれば決定的な証拠となります。また、マジックを得意としていた目撃証言や、マジック書やイカサマギャンブル書を読んでいたことが分かれば、重要な証拠となります。 今後に期待しているところです。
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ピラミッドは本来の本のままではなく、3行目のトップにあった JURER を2行目の CON の後に移行させています。
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