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コラム



第65回 パーシ・ダイアコニスの奇跡的人生とマジック(2014.3.28up)

はじめに

パーシ・ダイアコニスはダイ・バーノンの最初の弟子と言ってもよい人物です。1959年に当時14才であったダイアコニスは、家も学校も飛び出して、ダイ・バーノンと数年間のマジックツアーで生活を共にしています。これは、バーノンがマジックキャッスルへ迎え入れられる少し前のことです。朝昼晩とバーノンとのマジック漬けの生活が続けられます。それだけでも奇跡的ですが、10年間マジシャンを続けた後、猛勉強をして23才で大学へ入り、その後、統計学の教授となります。しかも、マッカーサー賞をはじめいくつかの賞を受賞しています。これまでの全てが奇跡的で、普通ではあり得ないことの連続です。

ダイアコニスはマジックの技術や発想がすばらしく、彼の考案とは知らずに使っているマジックや発想がいくつかあります。1984年に発行されたバーノンの "Revelations" は、彼がその編集を行い、10ページにおよぶイントロダクションを書いていることで有名です。この本は "Expert at the Card Table" の研究本で、ダイアコニス自身がその本の研究者であるだけでなく、その中のギャンブルテクニックのエキスパートと言ってもよい存在です。10代の始めのマーチン・ガードナーとの関係だけでなく、その後はエルムズリーやリッキージェイとは親しい関係になっています。

ダイアコニスはマジックの世界から離れて長くなりますが、クロースアップマジシャンの間ではあこがれの存在となっています。マジックの集まりに顔を出されることや彼のマジック書の発行が待ち望まれていました。そして、2012年に数理的カードマジックに関連した本として "Magical Mathematics" が発行されました。2013年12月には「数学で織りなすカードマジックのからくり」のタイトルでその日本語版も発行されています。日本では知名度が低いかもしれませんが、是非、知ってもらいたい人物ですので、今回報告することにしました。

パーシ・ダイアコニスの奇跡的人生

彼に関しては書きたいことがたくさんありますが、長くなりますので普通では考えられない奇跡的な出来事を中心に報告します。それは一つだけではなく次々に起こっています。まず、その前に、それらの奇跡が起こる14才までの彼の家庭状況から報告することにします。

父親は塗装請負業をしつつ小さなオーケストラの指揮者で、母親はピアノとリコーダーを教えています。そして、兄と妹は音楽家となっています。ダイアコニスも5才から14才までの何年間は、いやいやながらジュリアード音楽院でバイオリンを習っています。彼は1945年1月生まれで、5才でマジックの本に興味を持ち読んでいます。幼少の頃より家庭環境の関係で知能が優れていたものと思われます。学校では能力があるのに宿題をしないので成績が悪く、放課後は友達とマジックサークルをつくり、マジックショップ(ルイス・タネン)で過ごすことも多かったようです。音楽の指導にうるさい家庭環境がいやで、家にいたくなかったのだと思います。多くのマニアや有名マジシャンとの交流があった中で、マーチン・ガードナーからの影響が特に大きく、逆にダイアコニスのアイデアをガードナーに与えることもしています。 14才で家にいる場がない状況となり、学校も抜け出してタネン・マジックショップにいる時間が多くなります。バーノンが声をかけてくれたのをきっかけに、数年間いっしょにマジックの旅に出ています。両親には告げずに家出同然だったようです。バーノンから朝昼夜とセッションを続ける生活が数年間続けられたことは驚きで、バーノンの最初の弟子ともいえる存在となります。さらに、驚いたことに、日本では考えられないことですが、14才までしか学校へ行っていないのに3年間飛び越えて高卒にしてもらえていたことです。本来ならば試験を受ける必要があるのに、それも受けてもいないのにです。先生方の話し合いの結果、彼の知力と才能を評価して、意見の一致となったそうです。

バーノンと分かれた後も一人で南米や香港にも出向いていますが、生活するのがやっとの状況が嫌になります。また、酔っぱらいの前で演じたり、マジックをアートして見ない客、そして、勝手に盗用するマジシャンに対しても嫌になります。1968年の23才で猛勉強して、なんとかニューヨークの夜間のシティーカレッジに通い、1971年1月には大学での数学の賞を獲得しています。さらに、上級の大学を目差しハーバード大学の統計学の大学院生となります。これはありえないことだそうです。シティーカレッジからハーバードへ移ることは考えられないことで、それまでの20年間にはなかったことのようです。特に数学科では、成績が優秀であってもシティーカレッジからの受け入れには難色を示していたようです。そうであるのにハーバードに入れたのは、マーティン・ガードナーからの推薦文です。数学科はダメでしたが、ハーバードの統計学にマジックが好きな教授であるFrederick Mostellerがいたことが幸いしました。彼の写真がマジック雑誌の表紙にもなったこともある人物です。推薦文にはダイアコニスの才能のすばらしさだけでなく、ガードナーが解説しているマジックのいくつかに彼の作品があることも報告していました。さらに、セカンドディールやボトムディールのエキスパートであることも書かれていたようです。その教授はガードナーの賭けにのることを決め、面談をしてダイアコニスの可能性を認め、その数年後に、その判断が正しかったことが証明されます。

わずか3年後に統計学の学位を得ていますが、このように短期間で得ることはまれなようです。そして、スタンフォード大学の統計学の助教授から教授となり、1982年にはマッカーサー財団からの賞も獲得し、約20万ドルの研究費を得ています。その頃には、家に5000冊以上のマジックの本があり、毎月30冊ほどのマジック誌が届けられ、毎日、1時間はマジックの練習を続けているとのことです。彼の統計学の研究発表論文数の多さに比例して仕事量もさらに増え、1981年にはハーバード大学の統計学の客員教授だけでなく、1985年には数学科の客員教授にもなっています。1987年にはスタンフォード大学を去り、ハーバード大学の数学科の教授として迎え入れられます。さらに、その後では、スタンフォード大学へ戻り、統計学と数学科の教授として活躍されています。

この項目の最後として、何故、大学に入ってもっと勉強する必要を感じたのか、そのきっかけとなるエピソードを紹介して終わることにします。10年間プロマジシャンを続けたダイアコニスが、学生時代の同級生と会い、いっしょに書店を訪れます。彼は数理物理学でテキサス大学に在席しており、書店にあったフェラーの確率論の本を示して、もっとも優れた楽しい本だと紹介されます。ダイアコニスがその本の全体に目を通すと、現実社会の事柄と結びつけた面白そうな本であり、購入することに決めました。すると彼からは「君には読めないだろう」と言われてしまいます。ダイアコニスは見栄を張って「こんな本ぐらい読める」と言い切ります。しかし、実際には努力して読もうとしても読みこなすことが出来なかったそうです。この本を読むための基礎的なことが何も分かっていなかったことに気付き、勉強する必要を感じ、大学へ入る努力をする決心がついたことを報告していました。

1960年頃のパーシ・ダイアコニスのマジックの実力

1959年にバーノンがニューヨークを離れる時に14才のダイアコニスに声をかけたのは、既にその段階でかなりの実力があったからです。ルイス・タネンの店にいつも出入りしていた彼は、ディーラーや客から最新の情報を得ていただけでなく、テクニックもかなりのものであったようです。さらに、マーチン・ガードナーから数理マジックの知識と、それを改良する面白さも得ています。また、1958年に初めてニューヨークを訪れたエルムズリーとは、エルムズリーカウント(当時はゴーストカウントの名前で少数のマニアに知られていた)のダイアコニスの方法を見せて話し合いをしています。その時にエルムズリーからパーフェクト・フェロウシャフルの方法と、それを使った数理原理も教わっています。スムーズに行うためのカードの細工のことも聞いていたと思われます。猛練習をしてかなりの腕前になっていたようです。そして、2進法の考え方を教わり、52までの好きな枚数目を2進法表示して、「1」をイン、「0」をアウトシャフルすることにより、トップカードを目的枚数目へ移動させることも可能になっていました。

1960年代初めには前回のコラムでも報告しましたように、天海パームを使ったベンザイスコップの元になる方法を考案しています。それをベンザイスに見せ、それが1962年のハリー・ロレイン著の本に解説されることになります。この方法がダイアコニスの考案であることが、1970年のマルローの本により明らかになります。また、1962年頃から商品化されたヒンバーリングも、ダイアコニスの考案であることがよく知られています。ヒンバーリングは指輪が鉛筆の中央を貫通したり、客の指輪と連結したりします。このアイデアをダイアコニスがヒンバーに伝えたもので、ヒンバーが商品化したために、いつのまにかヒンバーリングの名前が付けられました。2007年のWhaleyのマジック百科事典でも、ヒンバーリングはダイアコニス考案となっています。

パーシ・ダイアコニスの発表作品

ダイアコニスは100以上の多数のカードマジックを考案したといわれています。しかし、彼の名前で発表されたものはほとんどありません。12才(13才)でマーチン・ガードナーとニューヨークのカフェテリアで交流するようになり、彼が改良した作品がガードナーによりサイエンス・アメリカ誌に掲載されます。それが彼の最初の文献上の作品となりますが、具体的な内容は分かりません。

その後、マジック書に彼の作品として掲載されるのは1作品だけです。1967年に発行されたルイス・ギャンソン著 "Dai Vernon's Ultimate Secret of Magic" の中で解説された "Les Cartes Diaconis" です。1877年発行のSachs著 "Sleight of Hand" の本に解説された "Les Cartes Generale" の現代的な改案です。バーノンとダイアコニスがジェニングスの家を訪問した時にダイアコニスが演じたものです。ジェニングスの音声テープを元にして、ギャンソンが文章化しています。デックのトップの3枚を取り上げて3人の客に示すと、その中には3人により別々に覚えさせたカードがなく、もう一度示すと3人のカードともに存在する現象です。昔の方法ではフォースにより3人とも同じカードを覚えさせていました。ダイアコニスの方法では、別の位置の3枚を覚えさせ、トップ3枚を取り上げて一人ずつに示すと「ない」状態ですが、客にカード名を言わせると、この3枚がそれぞれの客のカードとなります。

その後、ダイアコニスの名前でマジック界に発表されたものは、1984年のバーノンの "Revelations" ぐらいです。これはアードネスの本の研究本で、この本の編集と10ページのイントロダクションを書いています。以上の三つのことだけでもダイアコニスのすばらしさが伝わってきます。ギャンブルカードテクニックを研究し、「スライト・オブ・ハンド」の本のようなクラシックカードマジックも研究し、新しいものに作り替える能力があります。さらに、テクニックを使ったマジックだけでなく、数理マジックを研究し改良する才能もあるわけです。

残念ながら彼自身の方法は発表されていませんが、ダイアコニスの考案のマジックで私が最も影響を受けているのが「ホテルミステリー」です。昔からあった「ホテルミステリー」を、現在使われている現象にアレンジしたのがダイアコニスであることが知られています。「ホテルミステリー」はホテルの部屋での不思議な出来事をストーリーにしたカードマジックです。1940年のJinx誌に発表されたヘンリー・クライストの "Aces and Kings" を、マルローは「ホテルミステリー」のタイトルを付け、それにふさわしい内容にアレンジして1942年に発表しています。二つの部屋を想定して、それぞれに2枚ずつのクイーンとキングをおき、それが4枚のクイーンと4枚のキングに分かれる現象です。1960年代にダイアコニスは、各部屋に入るのを1枚のクイーンと2枚のキングに変更し、それが、2枚のクイーンと4枚のキングに入れ替わるように変えました。つまり、枚数も変化する現象に飛躍させたわけです。1967年頃のマルローとのセッションで、この現象を見せて、さっそくマルローはそれを改良した自分の作品を考案しています。マルローの方法が発表されるのは、1976年の「マルローマガジン第1巻」です。その中でダイアコニスの方法が元になっていることを報告しています。

結局、ダイアコニスの発表作品はほとんどないのかと残念に思っていますと、興味深い情報が入ってきました。ダイアコニスがアナグラムの別名で数作品を発表していることが分かりました。PERSI DIACONISの13文字を入れ替えて、SID R. SPOCANE IIの名前にしていました。1967年のハリー・ロレイン著 "Deck-Sterity" に解説された "The Royal Lovers" と、1982年のハリー・ロレイン著 "Best of Friends" の "Fascinating Pair" です。カール・ファルブスの "Pallbearers Review" 誌にも名前が見られますが、こちらはちょっとした投稿だけでした。

「数学で織りなすカードマジックのからくり」の本より

2012年秋にパーシ・ダイアコニスとロン・グラハムの共著として "Magical Mathematics" が発行されました。グラハムは数学者で一流のジャグラーでもあります。この日本語版が共立出版より川辺治之氏の訳で2013年12月に発行されたのが「数学で織りなすカードマジックのからくり」です。この本の後半で、数理マジックに大きく貢献された7名のマジシャンが紹介されているのが興味深い点です。英語版の本が届いた時に、真っ先に読んだのがエルムズリーに関する記載の部分です。13才のダイアコニスとの出会いのことは、既に上記で報告しました。しかし、それだけでなく、それから約10年後(1969年)に英国でエルムズリーに会った時の話にも熱中してしまいました。この時にチャールズ・ジョーダンのリフルシャフルしたデックから客のカードを探し出すマジックを、コンピューターとパンチカードで応用した方法を見せられます。このことがダイアコニスのその後の研究論文の一つに関わってきます。リフルシャフルを何回繰り返せば、最初の配列の影響が全くなくなるのかを明らかにする研究です。その結論は7回となっています。7回を超えると指数的な速さで元の並びの影響がなくなるそうです。エルムズリーとの関係は、その後も毎年1回は英国へ訪れ、コンピューターを使った作品も多数見せてもらったようです。このようなコンピューターの面白い活用が、ダイアコニスの統計学の研究にも大いに役立っていたのではないかと思います。なお、エルムズリーは英国の大きなコンピューター企業の上流プログラマーの仕事をしていたようです。

チャールズ・ジョーダンついての報告も、私にとっては、この本の価値を高めている部分です。ジョーダンには謎がいっぱいで、発表された多数の作品が本当にジョーダンの考案か疑問視されていたからです。ダイアコニスはジョーダンに関する資料を集められ、ジョーダンの謎めいた生活や能力を報告していたのも熱中して読みました。

ヘンリー・クライストに関しても、謎の人物であったので興味深く読んだ記事です。1960年にバーノンに同行して会い、その後も手紙で交流する関係が続いています。そして、100種類近いマジックを教わったことが報告されていました。クライストが1950年頃からマジック界に顔を出さなくなった理由が、彼の考案のマジックを盗用されることが多くなったことが原因のようです。

スチュアート・ジェームスの記事にも驚きました。考案したマジックの量がすごいだけでなく、数理マジックに興味を持つものは彼を避けて通ることが出来ないとまで書かれていました。そうであるのに、彼の家を訪問した時に、家にはデックがなく、口頭でのマジックの説明しか出来なかったことを報告しています。デックを使って実際に見せたり見せてもらうことが出来なかったわけです。デックがなくても作品が作れる説明として、殺人事件の推理小説は、作家が誰かを実際に殺すことはしないと説明されたようです。

マーチン・ガードナーの記事でも驚いたのは、彼が数学者ではなく、シカゴ大学の哲学の学士しか持っていなかったことです。だからこそ、一般の人にも理解できる数学パズルの原稿が書けると説明されていました。しかし、数学の専門家の興味も惹き付けているのが面白い点です。

以上の5名以外では、ボブ・ハマーとボブ・ニールについても紹介されています。そして、最も興味深い記事が、数理マジックの貢献者にバーノンとマルローが入っていなかったことです。二人ともマジック界への貢献はすごいのですが、数理マジックには全く才能がないと言い切っていました。バーノンの力作の数理マジックは、彼の他の作品に比べ平凡であり、マルローの場合には、他人の考案を見栄えのする内容に仕立て上げたとしています。つまり、数学的に面白い新原理を考案されていないからのようです。

この本の前半では、ギルブレス原理やCATO(ボブ・ハマーの原理の一つ)だけでなく、易占と確率やマジックとの関係まで取り上げているのが面白い点です。しかし、私にとっての最も興味深い記事はパーフェクトシャフルの数理の話でした。特に小数枚で行う各種シャフルが、全て何らかの関係を持って繋がっている点が面白く、今後の数理マジック考案の参考となりました。。

おわりに

ダイアコニス自身のことに関しては、1980年代中頃に購入していたサイエンスの雑誌と、数学者や統計学者を紹介した本を元にしています。これらには、多くのページを使って詳細に報告されていました。さらに、ネットでも数学者や統計学者としての彼の情報を得ることが出来ます。今回発行された本には、ダイアコニス自身に焦点をおいた項目はありません。しかし、断片的には興味深いエピソードが満載でした。昔からバーノンの弟子としての名前は聞いていましたが、1980年代のこれらの文献でパーシ・ダイアコニスの名前は忘れられない存在となりました。

2013年に発行されたマジック関連の翻訳本は、この本以外にタマリッツの本とジョン・バノンの本、そして、ウケるキッズショーのデビッド・ケイの本がすばらしく、話題となりました。しかし、私にとっては、もう1冊の忘れられない存在となったのがアレックス・ストーン著「人の心を手玉にとる技術」の本です。2013年1月には発行されていたのですが、タイトルを見ただけで購入する気になれなかった本です。ところが、12月になって、書店のマジック書コーナーにこの本があるのを再度見つけ、内容に目を通すと直ぐに購入しました。読み始めると面白すぎて、最後まで一気に読み終えてしまいました。そして、この本の最後の方に、パーシ・ダイアコニスについての記事がありました。彼が研究発表したシャフルの問題や、コンピューターサイエンス学会の講演で披露されたマジックのことが報告されており、是非、読んで頂きたい部分です。

そもそもこの本は、著者がFISM2006年のコンテストに出場して失格になった話から始まっています。そして、マジックを本格的に勉強し直すために各所に出向いて奮闘し、2010年のIBM大会のコンテストに出場するまでを報告しています。彼を通して、その頃のアメリカのマジック界の状況が分かり、面白く読めます。また、ダイアコニスについても違った側面から書かれていますので、大いに参考になりました。


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