カップアンドボールは最も古いマジックの一つです。古代エジプトの壁画のカップアンドボールを演じているイラストがよく知られています。ところが、この壁画が現在ではカップアンドボールを演じているものではないとの否定的な意見が中心になっています。また、英語の文献で現存する最も古いマジックを解説したものに1584年のレジナルド・スコットの本があり、この中には既にカップアンドボールの解説がされています。しかし、現在のようなカップが使われていなかったことはほとんど知られていません。ロウソク立て(燭台)の底の窪みを使ったもので、カップのように重ねることが出来ません。もちろん、その頃のヨーロッパの絵画では、現在のようなカップやボールが描かれていました。何故このような違いが生じたのでしょうか。現在のようなカップを使いイラスト入りで解説されたのが1634年の英国のホーカス・ポーカス・ジュニアです。残念ながら英国は、その後、250年近く新たな進展がありません。その期間にはフランスからマジックの重要な文献が次々と発表されることになります。19世紀後半には、フランスの文献から次々と英訳して英国のマジック書に掲載されるようになります。米国はもっとひどい状態です。1930年代中頃まで、ほとんどカップアンドボールが演じられていなかったからです。そのような世界状況で日本のお椀と玉の歴史を振り返りますと、そのすばらしさが分かります。1764年の放下筌には既に発表されており、その中で解説されていた発想が世界的にも誇れる驚くべきものが含まれていました。残念ながらそれらのほとんどが明治以降のお椀と玉に伝わっていません。日本が世界に誇れるクロースアップと言えばお椀と玉であるのに、現在の多くのマニアには興味を持たれていません。カップアンドボールとお椀と玉の歴史を調べますと意外なことが次々と分かってきます。その代表的なことを中心に報告します。 |
米国では1930年代中頃までカップアンドボールの人気がなく、演じているマジシャンがほとんどいなかったようです。1915年にバーノンがカナダからニューヨークへ来た時に、ニューヨークでは多くのマジシャンがいるのに、カップアンドボールを演じていたのはポップ・クレーガ一だけであったようです。バーノンによれば、そのころはサーバントが主流の時代で、持ち運びがたいへんな上に、横からの角度には弱かったことをあげていました。マリーニがポケットを使用しているのをバーノンが見て、バーノンもポケットを採用するようになったと報告しています。マリーニは米国での活動よりも世界中を巡っていたマジシャンです。また、天海師は1924年に米国に渡りましたが、1930年代中頃までカップアンドボールを演じているマジシャンを観たことがなかったと報告されています。ボードビル劇場には向いていなかったためと考えられます。1920年から1933年までの禁酒法も大いに関係しているようです。バーやナイトクラブがありませんでした。30年代後半にはボードビル劇場がなくなりナイトクラブが増えてきます。それにより、カップアンドボールを演じるマジシャンも増えてきたようです。バーノンの場合、本職は人物の横顔の影絵切り(シルエットカッター)であり、1920年代中頃に、マジックのすばらしさでスカウトされ、会員制のような高級な集まりでのクロースアップマジシャンとして活躍します。そのために、カップアンドボールを演じる機会も多かったと思われます。このようなことは非常にまれで、バーノンは特別な存在であったといえます。 |
20世紀を代表するカップアンドボールといえばバーノンの方法です。残念なことは、マニアにはあまりにも知られすぎ、マニア相手には通用しないマジックとなりました。しかし、一般客相手には、これほどよく考えられた手順がありません。バーノンの方法でよく聞く批判点が、フレンチドロップの種明しの部分です。また、ウォンドスピンによるボールの消失も不用との意見があります。さらに、最初のカップがカップを貫通することや、ウォンドで計測すると、カップの外側よりも内側が深いことを示すギャグ的なことも不用との意見もあります。天海ノートには興味深い記載があります。1954年に療養のためにロサンゼルスへ戻った天海師ですが、その後、バーノンがロスを訪れました。チャーリー・ミラーやジェラルド・コスキーを含めたマジシャンの集まりで、バーノンのカップアンドボールの不満点を出し合ったようです。そして、私ならこうするといった意見を出して、まとめられた一つの方法が天海メモに解説されていました。上記の三つの批判点が全て省かれています。その方法を読みますと、悪くはないのですが平凡で、かえって悪くなっている部分もありました。 |
日本では江戸時代の1764年に、既にしな玉として解説されていたことが驚きです。しかも、その内容のすばらしさに圧倒されました。世界的にも誇れるアイデアの宝庫です。平瀬輔世により1764年に放下筌、1779年の天狗通にも解説が加えられています。江戸時代に解説されたのは、この2冊だけです。意外であったのは、これがそのまま明治以降も伝わって現在のものになっていると思っていたのですが、全く伝わっていなかったことが分かり驚くばかりです。まず、お椀ではなく茶碗が使われていたことが最初の驚きです。現在ではお椀と玉と言われるぐらいですので、江戸時代からお椀が使われていると思い込んでいました。また、その解説の中では、現在のように3個の茶碗が使われていなかったことも意外でした。1個だけを使う現象で始まり、その後は4個使った方法で続けられています。全体の現象がダイナミックで変化に富んでおり、何がすばらしいのかを最初から順を追って報告します。 |
明治時代には多数のマジック書が発行されましたが、お椀と玉の解説はないと思っていました。ところが、2015年6月にネット上で河合勝氏による日本奇術博物館(Japan Magic Museum)で、二つのお椀と玉の文献を紹介されていました。現在のお椀と玉の移行期となる貴重な文献です。1冊目は1891年発行の市原卯吉著「改良手術 壽四季品玉」です。やはり茶碗が使われています。第1段では三つの茶碗で中央に玉が集まります。第2段では四つの茶碗が使われ、左手に握って消失させた玉が、伏せたそれぞれの茶碗の下より現れます。第3段は一つの茶碗が使われ、茶碗の下に一つずつ増えて現れます。2冊目の本は1895年発行の吉川弥三郎著「ざしき手しな四季のしな玉」です。これも茶碗が使われていますが、最初から最後まで三つの茶碗です。驚くべき記載が「茶碗返し」が解説されていたことです。さらに、8段まで手順があるのですが、現在よく知られています一陽斎派のお椀と玉の手順によく似ていることも驚きです。玉を左手に握ったように見せて、右手の中指と薬指の分岐部にパームする方法が解説されているのですが、これはホフマン著「モダンマジック」のカップアンドボールのパームの第1番目の方法と同じと言えます。モダンマジックは1976年発行で、日本には部分的に翻訳されて内容が伝わっていました。しかし、カップアンドボールの翻訳は、1902年の魔法博士述「魔術」の本だけでした。しかし、それ以前でも、その内容については伝わっていた可能性が考えられます。いずれにしても意外であったのは、明治ではまだ茶碗が使われていたことです。お椀が使われるようになるのは明治の終わり頃でしょうか。 明治時代の文献は2冊だけと書きましたが、平岩白風氏のいくつかの文献には、1905年の松井昇陽著「改良奇術」に「茶碗の品玉」が解説されていると報告されています。しかし、その本を調べてもそのような記載がありませんでした。1970年発行の平岩白風著「図説・日本の手品」の最後に手品文献が報告されていますが、その中で、「改良手術、寿四季品玉」に茶碗の品玉の詳述ありと書かれています。そうであるのに、本文ではこの本のことが紹介されずに「改良奇術」の本のことを書かれたのは、タイトルがよく似ていたので間違ったのではないかと思いました。 |
現在ではお椀と玉といえば、お椀返しの印象が強く残ります。一陽斎派のお椀と玉では、7段まである中で第5段までは毎回最初にお椀返しで三つのお椀をあらためています。それ以外にも、部分的にお椀返しが行われています。以前の私のお椀と玉の印象は、玉の不思議な現象のマジックを観た印象より、お椀返しの振り付けを観た印象の方が強く残りました。もちろん、お椀返しがなければ日本的なお椀と玉の良さが減少します。それでも、もっとお椀返しを減らした方がよいと思いました。このお椀返しが江戸時代には解説されていなかったことが意外でした。そして、1895年の上記の本に茶碗返しとして登場していることにも驚きました。1986年に一陽斎派の方法を解説された山本慶一著「日本手品宝華集」では、椀がえしで客に中をよく見せることが必要と書かれています。しかし、高木重朗氏や北見マキ氏のお椀返しは下向きに返して中を見せないようにしています。パームしている玉が見えることがないようにするためでしょうか。または、お椀の中に手が入っている印象をすくなくするためや、操作をスピーディーにするためであったのか、いろいろと考えてしまいます。 |
茶碗が江戸時代や明治に使われていましたが、明治の終わり頃からお椀に変えられた可能性が考えられます。お椀を使うことの利点は何でしょうか。漆器のお椀は日本的であり、高級感を持たせることが出来ます。英語では小文字のjapanは漆器を意味しています。そして、お椀であれば重ねることが出来ます。茶碗でも重ねることが出来ますが、扱い方に注意をしないと割ってしまう恐れがあります。中国の茶碗と玉の解説を数作品読みましたが、その中では重ねる操作がありませんでした。江戸時代の茶碗の場合も重ねていませんでした。もちろん、ヒンズーカップも重ねることが出来ません。それに比べ、カップアンドボールは重ねることを利用して各種の現象を起こしています。明治時代には中国からの影響があったでしょうが、西洋のカップアンドボールの影響の方が大きかったと考えられます。カップアンドボールでは伏せたカップの上へボールを置き、他のカップを重ねると下へ貫通する現象がよく知られています。しかし、面白いことに、お椀と玉では二つのお椀を重ねると、下側のお椀の下にあった玉がそのお椀の底の上へ上昇しています。つまり、移動方向が逆になっています。さらに興味深いことが、中国の茶碗と玉のほとんどが二つの茶碗を使っているのに対し、カップアンドボールでは三つのカップが使われていることです。お椀と玉も三つのお椀が使われるようになっています。 |
現在、いくつかのお椀と玉がありますが、その代表的なものが一陽斎派の方法です。1986年発行の山本慶一著「日本手品宝華集」に詳しく解説されています。それ以外の本でも、それを簡略化したり少し変えた方法が掲載されています。一陽斎派の方法だけでなく、伝承されてきた方法は日本の伝承芸として残す重要性を感じています。しかし、もっと斬新なお椀と玉があってもよいのではないかと思っています。日本の若いマニアにも受け入れられ、海外のコンテストでも使えるものがあってもよいのではないかと考えています。山本慶一著の一陽斎のお椀と玉には、伏せたお椀の底の部分(糸底)を持って投げ上げて、半回転させ、両手や片手で上向きに受けとめる方法が解説されています。この方法の記載が他の文献ではほとんど書かれていません。フラリッシュ的なことを嫌ったためでしょうか。もっと派手に1回転半させて受けとめてもよいのではと私は考えています。また、お椀返しを減らして、違ったビジュアルな扱い方を研究して、見た目も楽しいお椀と玉があってもよいのではないかと思っています。意味のない単なる見せびらかしだけのフラリッシュが多くなるのも問題を感じます。しかし、何かを取ってくるためのミスディレクションとしてや、玉をパームしていると思わせないためのフラリッシュも含めるのであれば、価値のあるフラリッシュとなります。扇子を利用した玉の消失も考えるべきです。江戸時代の放下筌にあったものが、現代では使われていません。バーノンが使っているウォンドスピンは、本来、サイレント・モーラが扇子を使って演じていたものでした。これを改良した方法を考えるのも一つの方法でしょう。放下筌のザルを使った派手なクライマックスがなくなったのも残念です。違った形で利用出来ないのでしょうか。カップアンドボールの特徴の一つが、常にカップの外から手でつかんでいることです。お椀と玉の場合は、お椀の中に指を入れている印象が残ります。お椀返しでお椀の内側をあらためることを繰り返しますと、よりいっそうその印象が残ります。お椀の外からつかむだけで演じたり、実際には指を中に入れていても、その印象を与えない方法で演じることを考えてみるのも面白いかもしれません。素材が日本的であり、日本を代表するお椀と玉を、もっと現在的にアレンジして、世界へ発信するのもすばらしいことだと考えています。 |
エジプトの壁画にはカップだけのイラストで、ボールの描写がありませんでした。二人の人物が2個のカップを触っているイラストの下方に、さらに2個のカップのイラストが描かれています。結局、何をしているのか分からないイラストです。マジシャンならこの時代よりカップアンドボールが演じられていたと考えたくなる気持ちは分かります。しかし、重要なボールが描かれていないのでは、カップアンドボールと確定出来ません。そうであるのに、この壁画をカップアンドボールを演じているものとして、大々的に取り上げてしまったのがミルボーン・クリストファーです。彼の1962年のマジックの歴史書「パノラマ・オブ・マジック」の歴史解説の冒頭で、余白をたっぷりとってこのイラストを登場させているために強い印象を与えています。この本はA4サイズで大きな写真やイラストが豊富です。しかも値段が安く、内容も分かりやすいので人気が高く、何度も再版されマジック界に大きな影響を与えています。今でも定価が30ドル以下であり、古本ではかなり安く手に入ります。日本でも梅田晴夫氏がこの本を日本語訳され、1975年には「世界の魔術」、1979年には「魔術」として発行されています。しかし、原著の方がイラストが豊富で、この本の内容をチェックしますと面白いことが分かります。カップアンドボールが登場する絵画数を数えますと22もありました。この絵画が登場するのは19世紀後半までのことで、それまではマジックと言えばカップアンドボールの印象が大きかったことが考えられます。重要なことは、エジプトの壁画以外のほぼ全てにボールが描かれていたことです。カップアンドボールはカップが主役ではありません。両者がそろっていることにより成り立っているか、ボールの方が主役との考えもあります。大きいボールから小さいボールまでありますが、小さい場合には分かりにくい絵もありました。しかし、よく見ますとカップの横にボールが描かれていました。ボールの扱いの技法がメインで、ボールのマジックの項目で解説されていることがあります。エジプトの壁画は図案化されたような絵です。カップアンドボールであればボールが描かれていないはずがありません。ボールの絵がないのに、カップアンドボールとすること自体に問題があったわけです。 |
古代ギリシャの記録には、皿と小石を使った現象が報告されています。いつ頃からカップが使われるようになったのでしょうか。ドイツのKurt Volkmannの本が1956年に英訳されて発行されていますが、その中で15世紀から16世紀のヨーロッパでカップアンドボールが演じられている絵画が15ほど紹介されています。この頃には既にカップが使われていますが、三つだけでなく二つだけの絵も数点ありました。ほとんどが立って演じられ、数個のボールと1本のウォンドも描かれています。さらに、gibeciereといって演者の腹部の少し横に取り付けられた口が大きい入れ物も描かれていました。ところが、1584年にカップアンドボールが初めて解説された英国のレジナルド・スコットの本ではかなり違っていました。カップが使われず、ロウソク立ての底の窪みを使っていました。それ以外を使う場合には、鉢(お椀状の容器)か塩入れ、または塩入れの蓋をあげていました。何故かカップが使われていません。使用する数も3~4と書かれていました。違っていたのはそれだけではなく、ウォンドもgibeciereも使われていません。ボールはコルクを丸くしたもので、ロウソクの炎であぶってススをつけて黒くしたものです。現在のボールよりも少し小さい大きさです。簡単な現象の記載だけですが、基本となる重要なことが既に解説されていました。パームの方法が三つ解説されています。右親指と人差し指の間でつまんだボールを、親指で転がして中指と薬指の間の根元にはさむパームです。このような少し小さいボールを使っていた時代では、このパームが最も基本といえる方法です。クラシックパームとサムパームについても解説されています。現象は簡単な記載だけです。各カップの下へ入れたボールが一カ所に集まります。その後、カップの下から大きなボールを取り出すことも記載されています。カップの下へボールを入れたように見せる方法は、その後の基本となるものです。右手のボールを左手へ渡したように見せて、右手にパームし、右手でカップを持ち上げて左手のボールをその下へ入れたように見せています。スコットの解説で気になる点が、右手にパームした後、その後のボールも別の指間にパームすることを続けていたことです。そして、これらのボールを小指側に集めて、最後のカップを持ち上げて置く時にいっしょに入れています。この点だけは問題に感じました。 |
たいていのカップアンドボールを見ても驚かなくなっていましたが、思わずビデオを見直してしまったのがエルムズリーの演技です。クライマックスで塩が出てくるのは知っていたのですが、ありえない塩の量に驚いてしまいました。21世紀に入ってからは、ジェイソン・ラティマーの透明カップでの演技にも驚きました。そして、最近では、韓国のSoel Parkのペンとボールと一つのカップを使った、めまぐるしく入れ替わる現象にも圧倒させられました。2015年の秋に大阪で、ウクライナマジシャンのピットによるレクチャーが行われました。イスに座った状態で足を使ったマニピュレーションと、意外なクライマックスで話題となったマジシャンです。彼のレクチャーの中で印象に残った話があります。ドイツのトパーズが、昨年、また新しいステージマジックを演じられました。何故、そんなに次々と新しいマジックを考案出来るのかを尋ねたそうです。彼は古典のマジック書を読んで、少し現代的にアレンジしただけだと答えたそうです。古典のマジック書には、考えもしなかった発想のアイデアが記載されていることがあります。放下筌も重要な古典文献で、しな玉の解説の中にもそのようなアイデアが含まれていました。 |