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コラム

第118回 カード・アクロスの歴史と意外性(2024.8.20up)

はじめに

ラスベガスで活躍されているマック・キングの演目の中でも、不思議なだけでなく笑いが止まらないのがカード・アクロスです。二人の客をステージに上がらせ、マック・キングがレインコートをかぶります。透明人間になったと言って二人の間を行ったり来たりして笑わせます。二人は10枚づつのカードを持っていたのですが、不思議にも3枚が見えない飛行していました。マック・キングが演じるから笑いが起こる最も彼にマッチした演目です。また、カード・アクロス自体がステージでも大きな効果を発揮できるパワーを持っています。最近ではクロースアップマジックにおける進化が見られます。スペインでは8枚配ると8のカード、5枚配る5が現れ、5と8のカードを入れ替えるとそれぞれの枚数に変化する作品が発表されています。カード・アクロスの変化形といってもよさそうです。

最初の解説が1853年で、ドイツ語のR.P.によるEin Spiel Kartenの本と、同年に同様な方法がフランスのPonsinの本にも掲載されます。予想以上に面白い方法でした。1902年のラング・ネイルの本に違った方法が解説され、大正や昭和初期の日本に伝わり発展しています。また、20世紀初めにはパームを使わない効果的なライプチッヒの方法も演じられています。彼の演技の目撃情報や奇妙に変更された方法の発表がありますが、正確な方法は1963年にやっと解説されます。ライプチッヒから大きな影響を受けていたダイ・バーノンによる提供で、その方法の素晴らしさに感激しました。

問題を感じたのが1996年のロベルト・ジョビ著「カード・カレッジ第2巻」です。日本語版は2001年に発行されています。この作品が、19世紀のウィーンの巨匠、J. H. ホフジンサーのお気に入りマジックと書かれていました。また、このマジックは、カード・アクロスという名で古くから伝えられてきた作品として紹介しています。ところが、カード・アクロスの名前が登場するのは、1940年の「エキスパート・カード・テクニック」の本が最初の可能性があります。Zingoneによる「スリー・カード・アクロス」が解説されています。つまり、かなり後になってからです。それまではTwenty Card Trick(20枚カードトリック)やThirty Card Trick(30枚カードトリック)、または、フライングカードなどの様々な名前で呼ばれていました。

さらに重要なもう一つの問題が、 ホフジンサーのカードマジックの本や彼に関する他の文献で調べてもカード・アクロスのような現象の作品が見つかりません。カード・アクロスの歴史や発表者を各種の本やネットで調べても、ホフジンサーの名前が全く出てきません。ところが、意外な形でホフジンサーの方法の解説を見つけることができました。カードの飛行現象ではなく、別の現象にこの操作が応用されているだけでした。しかも、その操作が最初に解説のドイツ語の本やフランス語のPonsinの方法を応用したような方法でした。ジョビの本に本来のクレジットすべき人物の名前がなく、ホフジンサーだけをクレジットしていたことに異和感があったわけです。そのことは後で詳しく報告します。

ステージやパーラーで演じることが多い演目ですが、クロースアップでも行うことができます。その代表的作品が1922年発表のデビッド・デバンの方法です。ポール・ウィルソンが2006年の「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」のDVDで、円形テーブルに彼と4人の客が座り、一人の客を相手に演じていました。かなりの不思議さがあり、解説を見る前に演技DVDを見返したほどでした。1978年にはポール・ハリスが新しい発想でパームを使わず、ビドルムーブなどを使った方法を発表しています。1988年にはフィル・ゴールドステイン(マックス・メイビン)がパケットマジックの「新幹線」を発表され話題となりました。また、スペインの5枚と8枚の変化も興味深い現象です。歴史を調べますと意外なことがいろいろ分かり面白くなります。ここではそれらのことを報告させて頂きます。

1853年の最初に解説された方法の面白さ

最初に発表された方法を現在演じてもかなり強烈です。32枚のデックを使うのですが、客に数枚を取らせて、その枚数を当てることから始めています。客がテーブルへ1枚づつ配って枚数を確認させると当たっています。テーブルへ配ったカードを客にしっかりと持たせ、3や4の少数を言わせてその枚数を移動させると言います。4の数が言われた場合、客が1枚ずつテーブルへ配ると4枚多くなっています。さらに演者は3枚の移動を告げます。再度、客が枚数を確認すると3枚多くなっています。 この現象が最初に解説されたのが1853年であり、ほぼ同じ方法がその年のドイツ語とフランス語の2冊の文献に解説されます。ドイツ語はR.P.の Ein Spiel Kartenの本であり、フランス語はPonsinの本です。このことは2007年度版のTHE ENCYCLOPEDIC DICTIONARY OF MAGICだけでなく、ネット上のGenii MagicpediaやConjuring Creditsにも報告されています。ドイツ語の本の現象に関しては、Conjuring Creditsに簡単に報告されていますが、フランスのPonsinの本に近い内容でした。考案者に関してはTHE ENCYCLOPEDIC DICTIONARY OF MAGICや1948年のビクター・ファレリの本ではフランスのConusの可能性が報告されています。残念ながら、それを確定するためのものが見つかっていないようです。Conusは1836年に亡くなっていますので、彼の考案であれば1836年以前には演じられていたことになります。Conusはフランス人であり、最初の4AアセンブリーのConus 4Aトリックの考案者として知られています。この4Aトリックを最初に解説していたのがPonsinの本であり、その解説の1つ前に今回のテーマのトリックが解説されていました。それにはConusとの関わりの記載はないのですが、Conus考案の可能性が高いと考えられたのかもしれません。Genii MagicpediaやConjuring Creditsには、考案者に関する記載がありませんでした。

19世紀中頃のホフジンサーの「カード・アクロス」ではない現象

オーストリアのホフジンサー(1806~1875)は、祖父や従兄弟の影響でマジックに興味を持ち、1857年にサロンを開いて上流階級を中心に演じるようになります。ホフジンサーは公務員であるので前面に立つことができず、奥さんがサロンの経営者として、ホフジンサーが2時間ほどの演技を行うことになります。この時の演目が公表されており、その中の”Association of Thoughts”(思考の共有)が、今回のテーマに関連しています。1910年にホフジンサーのカードマジックの本がオトカー・フィッシャーによりドイツ語で発行され、1931年にはS. H. シャープにより英訳されて発行されます。

ホフジンサーの現象では、二人の女性を相手に彼女らの思考が共有できることを証明する内容になっています。一人目の女性の思考を読み取って予言を書いて彼女に持たせます。二人目の女性には52枚のデックの半分以上を渡して、20枚をテーブルへ数えながら配らせます。残りを受け取りデックに戻し、予言を渡した一人目の女性の前に1枚ずつ配り、好きなところでストップを言わせます。それが何枚あるかを確認させ、予言を読ませると「11枚でストップする」と書かれていて当たっています。二人目の女性の前に8枚のカードを並べ、1から8の好きな数を言わせます。端からその枚数目のカードを表向けると6であり、「あなたが配ったのは20枚ではなく、6枚多く配っています」と言って彼女のカードの20枚を配らせます。すると、彼女の手にはまだ6枚残っているのが分かります。さらに、この20枚を彼女に持たせて、3枚多くあると言って配らせると、23枚になっています。つまり、カード・アクロスのような移動現象ではなく、不思議なことを行った客の思考を共有する現象です。ホフジンサーがこの作品をいつ完成させたのかが分かりませんが、この中には最初のカード・アクロスにも使われている操作に近いものが含まれています。ロベルト・ジョビはそのことからホフジンサーをクレジットしたのだと思いますが納得できるものではありません。

1868年のロベール・ウーダンの興味深い方法

32枚のデックを使用し、事前に別のデックから3枚を右手にパームしているのが特徴的です。Ponsinなどの最初の方法では一人の客相手でしたが、ウーダンの方法から二人の客を相手に二人の間でのカードの飛行現象が始まります。ウーダンの方法では3枚多く使っていますので、途中で3枚をパームして処理する必要があります。この方法は1868年のフランス語のウーダンの本に解説されますが、その英訳本がホフマンにより1877年に発行されます。ところで、興味深いことが1876年のホフマン著「モダン・マジック」の本には、Ponsinの本の方法とウーダンの方法の2つが掲載されていました。「モダン・マジック」の本の多くの部分がPonsinの本から採用されており、それにウーダンの方法も加えられた状態です。Ponsinの本からの方法は、何のクレジットもされていない問題がありました。この2つの方法が、1889年のホフマン著”Trick With Cards”にも解説されます。

1922年のデビッド・デバンのシンプルで効果的な方法

上記のそれぞれの方法で共通していたのが、客が配ったテーブル上のカードへ演者のパームカードを加えていたことです。それらの方法には素晴らしい点がありますが、シンプルにして効果的にしたのがデビッド・デバンです。客にデックを3分割させて客に好きな1つを取らせ、それを1枚づつテーブルへ数えながら配らせ、その山を客に持たせます。残りの山から1枚を選ばせると3のカードであり、3枚を飛行させると言います。客が持っている山を数えさせると3枚増えています。

客のパケットに演者の手が触れていない印象があるのに飛行するので強烈です。心理的にそのように思わせてしまうすごさがあります。もちろん、レギュラーデックだけで行い、演者の手にパームしていた3枚をテーブルカードに加えています。奇妙なことが、この作品のタイトルが “The Thirty Card Trick”になっていたことです。30枚のカードを使うわけでもないのにこのタイトルを使っていたのは、1922年頃はそのタイトルで知られていた現象であったようです。1948年にHugard & Braue共著「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」が発行されますが、その中でこの作品が「スリー・カード・アクロス」のタイトルで解説されます。そこにはデビッド・デバンのお気に入りのマジックであったことも書かれています。タイトルを変えているだけで、内容は1922年のデバンの方法と同じです。松田道弘氏は1993年に筑摩書房から「トランプ・マジック・スペシャル」の本を発行されています。その第2部が「古典カード奇術」で「カード・アクロス」も解説されます。その時に取り上げた作品がデバンの方法で、その素晴らしさと方法を詳細に解説されていました。

そして、奇妙に思ったのが上記でも報告しました1996年発行の英訳版「ロベルト・ジョビーのカード・カレッジ2」です。「カピストラーノのカード」のタイトルでカード・アクロスが解説されます。カピストラーノとはイタリアの地名のようですが、何故そのタイトルにしたのかの説明がありません。また、上記で報告した奇妙な問題があります。この作品に最も近いのがデビッド・デバンの方法です。最初の部分を3分割させる代わりに4分の1を取らせ、3のフォースをクラシックフォースに変えているだけです。最後の部分は3枚の飛行だけでなく、その後に5枚も飛行させている点は原案のPonsinに戻っています。現象をパワーアップした点では良いように思ってしまいますが、不思議さの点では大きく後退させました。シンプルにしたデバンの素晴らしさは、客が数えたカードに演者の手が触れていない印象を与えていたことです。どのような現象が起こるか分からない段階で、テーブル上の客のカードを演者の手で客の方へ押していただけです。この段階では、手が触れた印象がほとんど残っていません。ところが、もう一度飛行現象を行うと、客のカードに演者の手が触れていた記憶を強く残してしまうことになります。

1902年のラング・ネイルの本の方法と日本への影響

この本での方法には特別なタイトルがありません。現象を表す2行の文章がタイトルの代わりになっています。19世紀のほとんどの作品も同様です。しかし、この作品では30枚を使用し、30枚を確認させていることから、その後、このような作品を”Thirty Card Trick”と呼ばれるようになったと考えられます。この作品や1897年のRoterbercの「ニュー・エラ・カード・トリックス」からの大きな変化が、これまでのようにテーブルへ配ったカードの上へパームした数枚を加えることがなくなりました。テーブルへ配られたカードを演者が手に取り上げて揃える時に数枚をパームし、その後、別の山を取り上げて揃える時にパームカードを加えています。ネイルの本でのパームのタイミングは、客のポケットがカラであることを確認させた時に行っています。15枚づつ分割させたカードをそれぞれの客のポケットへ入れさせ、外側から押さえさせます。そうであるのに、数枚のカードが飛行します。この本では5枚を飛行させていました。

ラング・ネイルの本では写真が多く使われています。下肢まで写して全身の姿が分かる写真が多いことでも有名な本です。この作品では女性のMdlle Patriceの方法と書かれ、写真では彼女の両側に男性を立たせて演じています。彼女は著者のラング・ネイルの奥様で、彼女を指導したのがこの本に登場しているチャールズ・バートラムです。そのことから、この作品の実際の考案者はバートラムだと書かれた文献も登場します。1948年のビクター・ファレリの冊子の中で報告されていました。 この本が日本では大正時代の奇術書に部分的に翻訳されています。三澤隆茂氏が大正9年(1920年)に「奇術の種あかし」を発行され、その中にこの奇術が写真と共に翻訳されていました。三澤氏は昭和6年にも「趣味の奇術」を発行され、その中にもラング・ネイルの本の別の数作品を翻訳されています。

ところで、1952年発行の「奇術大鑑」によりますと、矢代武雄氏が英国滞在時に20作品の奇術指導を受け、昭和6年(1931年)に帰国しています。その時の指導を受けた中にサーティーカードがあり、これは帰国してから非常に珍しい奇術としてヒットしたと書かれています。つまり、矢代氏の手によって日本に伝えられたものと報告されていました。矢代氏はT.A.M.C.(東京アマチュアマジシャンズクラブ)の会員です。基本的にはラング・ネイルの本の方法と同じようです。15枚づつを二人の客のそれぞれのポケットへ入れさせ、服の上から押さえさせています。違っているのが、二人を握手させ、一人の背後にまわり、背中を5回叩くと5枚だけ相手のポケットへ移る演出です。 この進化した方法として、数える時にテーブルを使わず、手の上へ直接配るようになります。その1つとして昭和31年(1956年)の安部元章著「トランプ手品」の「30枚のカード」があげられます。テーブルはデックを置いて、再度取り上げるために使われているだけです。この時に最初から置かれていた数枚(1枚は最後に使うためのギミックカード)を加えています。5人の客に覚えさせた5枚のカードが飛行する現象です。5人目のカードが飛行せず、客に探させると客の背中にくっついているクライマックスの面白さがあります。さらに、全体をもっとシンプルにしたのが1976年のパトリック・ページの方法です。少し向きを変える動きの中でパームし、その後、向きを変える動きでパームカードを別のパケットに加えていました。この方法を基本にして、面白い演出を加えたのが冒頭で紹介しましたマック・キングです。なお、2015年の宮中桂煥著「図解カードマジック大事典」のカード・アクロスの方法も、少し違うシンプルにした方法です。

ライプチッヒのパームを使わない巧妙な方法

ライプチッヒ(1873年~1939年)の方法は20世紀初めには既に演じられており、ビクター・ファレリによる1909年の目撃情報もあります。しかし、彼の方法が正式に発表されたのは1963年です。Lewis Ganson著”Dai Vernon’s Tribute to Nate Leipzig”の本です。ライプチッヒと同様な方法が1909年のネルソン・ダウンズ著「アート・オブ・マジック」(ヒリアードがゴーストライター)にTwenty Card Trick(20枚カードトリック)としての解説があります。20枚を使うのでタイトルは悪くないのですが、秘密の操作部分を違う方法にしようとしたためか奇妙な方法になっています。別法の方が実戦で使えそうですが、ライプチッヒの本来の方法に比べると見劣りします。

客により演者の左右の手に10枚づつ数えて配られるのですが、左右の手が接近する時に3枚を移動させ、13枚にしたカードを客のハンカチに包ませます。客にハンカチを取り出して広げさせるのがミスディレクションになっています。1927年のターベルの通信講座「ターベル・システム」の12章に”Cards That Pass in the Night”のタイトルで秘密の操作部分を別の違った方法が使われています。タイトルは12枚づつの24枚が使われるので別の名前にしたようです。1945年の「ターベルコース第4巻」では「ザ・フライングカード」として数作品の解説がありますが、「ターベルのフライングカード」の解説が1927年の方法の再録でした。

ライプチッヒの方法のもう一つの大きな特徴が、1枚づつ飛行させて、その度にフォールスカウントで枚数が減少したことを証明しています。実際には7枚のカードを数えるたびに10枚、9枚、8枚にフォールスカウントしています。カウントの繰り返しが多くなりますが、少ない枚数であるのでそれほど気になりません。そのために10枚づつを使っているようです。15枚づつであればカウント時間が長くなり問題に感じます。ライプチッヒは1枚を飛行させるたびにドラムロールで盛り上げ、フォーウスカウントでカードの減少を示すのが見せ場になっているようです。何回もカウントを繰り返すのは、ライプチッヒのように使用枚数が少ない場合に限定した方がよさそうです。

クロースアップを中心とする新しい時代へ

新しい考えはクロースアップ分野からと言えます。これまでのステージやパーラーで演じる場合に、カードのカウントは客に行わせ、1枚づつテーベルへ配らせたり手の上へ配らせることにより、遠方からでも見える方法が使われていました。新しい考えでは、ビドルムーブやパケットマジック要素が加わり、近距離の方がよい作品が発表されるようになります。また、パームを使わない方法が中心になります。画期的な方法が1978年のポール・ハリスの「ラスベガス・リーパー」です。リープには跳ぶの意味があり「ラスベガス・クロースアップ」の本に発表されます。

10枚づつ使いますが、最初の10枚を表向けて客に渡し、1枚づつ裏向けてボトムへ回して10枚を確認させています。それをポケットへ入れさせるか、イスに置いて座らせます。残りのデックを右手にビドルポジションに持ち、左手へ10枚を数え取ります。1枚が飛行するたびにビドルカウントで9枚や8枚に数え、最後は7枚になります。客のカードは13枚になっています。

1988年のフィル・ゴールドステイン(マックス・メイビン)は、2枚のトリックカードを使ったパケット・トリックを発表しています。その後、商品化され発売されました。また、1990年のフィル・ゴールドステイン著”Focus”や、それをTon・おのさか氏により翻訳された2005年の「パケット・トリック」の本にも掲載されています。赤裏の4枚から選ばれた1枚が青裏の4枚に飛行し、赤裏が3枚になり、青裏パケットは赤裏1枚が加わって5枚になります。1枚だけの移動ですが簡単に行えて効果が大きいので話題になりました。

2004年には、ピーター・ダフィー、コロンビニ、ロビン・ロバートソンによる「キラー・コンセプト」の冊子が発行され「キラー・カード・アクロス」が解説されます。ビドルムーブと好きな枚数にカウントできるキラー・カウントを使っています。17枚のカードを使い10枚と7枚に分け、10枚が7枚に、7枚が10枚になります。1枚飛行させるたびにキラー・カウントで1枚ずつ減少させていたのが特徴的です。

最近のスペインで興味深い方法が発表されます。それを初心者用に改良して発表されたのがシュート・オガワ氏です。シャフルしたデックから8枚を配ると8のカードが出現し、次に5枚配ると5のカードが現れます。この5と8のカードを入れ替えると5枚であった山が8枚に8枚の山が5枚になります。3枚が移動するわけで、これもカード・アクロスの変形版と言えます。

オガワ氏は2014年のPri-Ala Magic Magazine No.13にNumeroのタイトルで解説されました。スペインのミゲール・プーガやハビエールの作品を元にされてオガワ氏も難度の高い作品を作られたそうです。それをかなり楽に行える作品に作り替えて紹介されていました。テーブルへカウントしながら配るので難しさのある現象ですが、この作品もビドルムーブを使うと恐ろしいほどに楽にできるので驚いています。元々のカードアクロスは、客に配らせていた公正さがありましたが、クロースアップでは演者が配ったりカウントするのが中心になります。その弱さを、8や5のカードの出現後の強烈なクライマックスでパンチを効かせていた面白さを感じました。

おわりに

IBM大阪の重鎮からカード・アクロスのことで尋ねられ、調べているうちに次第に面白くなってきました。1853年の原案が意外に面白かったり、ホフジンサーがカードアクロスではない現象を考案していたことが興味深くなりました。また、ライプチッヒの素晴らしい本来の方法が1963年まで発表されず、少し変えた奇妙な方法が発表されていたことも意外でした。スペインやシュート・オガワ氏が考案している5枚と8枚を使う方法も、考えてみればカード・アクロスと関連することが分かり面白くなりました。

歴史を調べますと、早い時期から客が思ったカードや選んだカードの数枚が飛行する現象が多数発表されています。しかし、今回はそれらの作品のほとんどを取り上げませんでした。松田道弘氏が1993年の「トランプ・マジック・スペシャル」のカード・アクロスの121ページで述べられていたことが印象的です。「枚数が3枚ふえたことを知ったときに大拍手します。しかし見えない飛行をした3枚のカードが客の選んだカードであることを証明してみせても、小拍手しか期待できないのです。カードが3枚秘密飛行をしたことを証明したとたんに、この奇術は事実上終わっているのです。」

カード・アクロスは思っていた以上に多数の作品が発表されています。そのために下記の参考文献は、今回取り上げたものや関わりのある文献とカード・アクロスの歴史やまとめた文献を中心にしました。

参考文献

1853 R.P. Ein Spiel Karten(ドイツ語)

1853 Ponsin Nouvelle Magie Blanche Devoilee(フランス語)

1868 Robert-Houdin Les Secrets de la Prestidigitation et de la Magie

1876 Professor Hoffmann Modern Magic 上記フランス2作品英訳

1877 Robert-Houdin The Secrets of Conjuring and Magic 英訳版

1889 Hoffmann Tricks with Cards フランス2作品再録

1897 A. Roterberg New Era Card Tricks The New Multiplication of Cards

1902 Lang Neil The Modern Conjurer Mdlle Patriceの方法

1909 T. Nelson Downs The Art of Magic The Twenty Card Trick

1909 T. Nelson Downs The Art of Magic The Flying Cards 2作品

1910 Hatton & Plate Magicians’ Tricks From Poket to Poket

1910 Ottokar Fischer Hofzinser Kartenkunste(ドイツ語)

1920 三澤隆茂 奇術種あかし ラング・ネイルの本の部分翻訳含む

1922 David Devant Lessons in Conjuring The Thirty Card Trick

1927 Tarbell Tarbell System 12 Cards That Pass in the Night

1937 Edward Victor Magic of The Hands The Thirty Card Trick

1937 Hugard Encyclopedia of Card Tricks Zen’s Miracle Pocket to Pocket Trick

1940 Hugard&Braue Expert Card Technique Louis Zingone Three Cards Across

1941 Al Baker Magical Ways and Means A Lesson in Magic

1945 Tarbell Course in Magic Vol.4 Tarbell’s Flying Cards他多数

1946 Douglas Craggs Masterpieces of Magic Leipzig and The Twenty Card Trick

1948 Hugard & Braue The Royal Road to Card Magic Three Cards Across

1948 Victor Farelli Thanks to Leipzig! Farelliの方法と各作品歴史

1952 宮入清四郎編集 奇術大鑑 矢代武雄氏の記事(165~167)

1953 Peter Warlock Some Aspects of The Flying Cards 各作品歴史

1956 安部元章 トランプ手品 30枚のカード

1961 Dai Vernon’s Further Inner Secrets of Card Magic Larry Grey’s Cards Across

1963 Dai Vernon’s Tribute to Nate Leipzig Twenty Card Trick

1965 高木重朗 奇術研究 39号 飛行するカード

1976 Patrick Page The Big Book of Magic Three Cards Across

1978 Paul Harris Las Vegas Close-Up Las Vegas Leaper

1985 Reinhard Muller Flying Cards Cards Across An Overview

1988 Phil Goldstein Goldstein Lecturenote Shinkansen

1993 松田道弘 トランプ・マジック・スペシャル カード・アクロス

1996 Roberto Giobbi Card College Vol.2 The Cards of Capistrano

2004 Duffie&Colombini&Robertson Killer Koncepts Killer Cards Across

2014 Shoot Ogawa Pri-Ala Magic Magazine No.13 Numero

2015 宮中桂煥 図解カードマジック大事典 カード・アクロス


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