クロースアップ・マジックの名前を日本で広めたのは松田道弘氏です。そして、奇術に関する多くの著作でマジック界に多大な貢献をされました。その松田氏が2021年10月24日に亡くなられました。85歳でした。亡くなられたことが広く知られるようになるのは2022年の中頃になってからです。そのことについては後で報告させて頂きます。
松田道弘氏の最初の著書は1974年の「クロースアップ・マジック」です。次が1975年の「シルク奇術入門」と「奇術のたのしみ」となります。この3冊は私にとっての衝撃の著書でした。もちろん以前から松田道弘氏は知っていましたが、このような素晴らしい著書を書かれたことに感激しました。そして、尊敬するあこがれの著者となりました。
松田道弘氏は1936年2月京都生まれです。1959年に同志社大学卒業後ラジオ関西に勤務され、1978年に退社し著述家専業となります。一般書店販売の本が64冊発行されていますが、2011年に発行された2冊が最後の本となります。これは私の調べですので少しの違いがあるかもしれません。なお、64冊以外に賛同者配本の2冊の松田氏の本が石田天海賞委員会や同じ発行所から発行されています。64冊は奇術関係書が35冊、それ以外が29冊です。事典が10冊、文庫本として再販された本が8冊、共著が2冊、翻訳本が3冊です。翻訳本はマジック以外です。そして、東京堂出版からハードカバーの松田道弘のカードマジックの本が9冊も発行されていることが世界的にもすごいことです。
松田道弘氏の著述活動は大きく3期に分かれます。第1期は1965年から1979年までのマニア向けマジック雑誌掲載期、第2期は1979年から1987年までの一般読者向けの遊び、ゲーム、パズル、ジョーク、ミステリ評論などを中心とした著作期、第3期が1987年から2011年までのマニア向け奇術書が中心の著作期です。第3期は東京堂出版との関わりが大きくなります。 私よりも松田氏をよく知る重鎮が多数おられますので、私の報告には不十分な点があると思います。しかし、何度か松田氏の奇術を見たことがあり、松田氏の奇術関連の著書の全ては購入し読ませて頂いています。尊敬する松田氏のことを少しでも多くの方に知ってもらうためにも、今回報告させて頂くことにしました。
この本の最初の驚きが「クロースアップ・マジック」をタイトルに使われていたことです。13回のコラムでも報告していますが、それまではテーブルマジックの名前が一般的でした。海外ではClose-Up Magicの名前が使われていることから、日本でもクローズアップ・マジックの名前も使われ始めていました。それを本来の英語発音に近いクロースアップを使うようにされたのが松田氏であったわけです。松田氏はこの本のタイトルに使ったのが最初ではありません。松田氏が所属する大阪奇術愛好会が1965年に第1回目の発表会を開催されますが、その時の名前が「第1回クロースアップ・マジック・コンベンション」でした。その当時から所属されています赤松洋一氏に伺いますと、松田氏がクロースアップ・マジックにするように提案されていたことが分かりました。その後、1968年まで毎年開催された発表会もクロースアップの名前が使われています。1969年からはIBM大阪リングとして登録し、IBM大阪と大阪奇術愛好会合同の発表会として開催されることになります。
「クロースアップ・マジック」の本の内容にも衝撃を受けました。この頃にはカード奇術の素晴らしい本はありましたが、クロースアップ・マジックとしてここまで完成された本がなかったように思います。現在では多数発行されている本や映像で、割合楽に基本技法や作品を学ぶことができます。そのためにこの本の印象が薄いかもしれません。しかし、当時の私は感激した本でした。作品では厚川昌男氏の「穴を動かす」以外は新しいものがありません。この頃のマニアのマジック界では、ジェニングスやディングルとロイ・ウォルトンの新しさがあるマジック、そして、革新的なポール・ハリスのマジックが話題になっていました。新しさを追い求めていた私でも、松田氏のこの本の完成度には魅了されました。これまでの一般書店販売の本では、テクニック不要や誰でも簡単に行えるが宣伝文句のマジック書が目立っていました。松田氏の本はテクニックを必要とする作品を中心にされています。すぐに行えるマジックの本ではありません。練習が必要です。しかし、基本的な技法を使用し、必ず行えるように分かりやすく解説され、必ず受けるマジック作品が選ばれていました。海外を含めた多くのマジック書を読み込んで、咀嚼して、松田氏の経験を通してまとめられていることが伝わってくる本でした。そして、読みやすさにも感激しました。そのことに大きく貢献されていたのが小野坂東氏のイラストでした。さらに、高木重朗氏と父親の文章の影響を受けていたことも考えられます。父親は医師・育児評論家・著述家の松田道雄氏で、代表作は1967年の「育児の百科」(岩波書店)がベストセラーになっています。その本は難しい漢字を使わず、誰でもが読みやすい文章であることを宮中桂煥氏より教えて頂いたことがありました。
「クロースアップ・マジック」の本は1974年1月の発行ですが、2月には二川滋夫著「コイン奇術入門」が日本文芸社から発行されます。こちらも松田氏の本と同様に衝撃的で素晴らしい本でした。二川氏の本は1978年に英訳されハードカバーの大きいサイズで発行され、海外で話題の本となります。この74年から75年にかけて金沢文庫や日本文芸社から高木重朗、松田道弘、二川滋夫の本や翻訳本が次々発行され、マジック界が大いに盛り上がっていた時期でした。なお、「クロースアップ・マジック」は金沢文庫から発行されましたが、1987年にはちくま文庫から「即席マジック入門」のタイトルに変更され文庫版で発行されています。
2冊目の本が、翌年の1975年7月に日本文芸社から発行された「シルク奇術入門」です。この本を購入した時は嬉しさで興奮したことを思い出します。これまでの日本では、ここまでシルク奇術をまとめた本がなかったからです。しかも、基本的なことから代表的作品までを簡潔に分かりやすく解説されていました。なお、この本の発行を決意されたのは、1971年に来日されたオランダのマーコニックのシルクマジックです。現象のインパクトが強く、方法を単純化されたことが大いに気に入られたようです。そして、マーコニック氏から作品掲載の許可をもらい、彼の5作品と彼の手順が掲載されているだけでなく、表紙にはマーコニックの演技のカラー写真が使われていました。当時の私は作品にしか興味がなかったのですが、かなり後になってからは、最初の8ページにわたるシルク奇術の歴史や最後の6人のルーティンと参考文献が大いに参考になりました。ルーティンでは戦前の阿部徳蔵氏の「色絹変転」に興味がわきました。また、戦後ではポール・ダイアモンドのコミック手順も印象的です。ダイアモンドの場合は面白い手順が続くのですが、ラストでは2メートルのマンモスシルクが出現し、その中からちっぽけなコーラのカンを取り出して笑いを起こしています。なお、そのカンからは結ばれたシルクを40メートルほど取り出していました。ところで、この本のことで特別に驚いたのが、多数のイラストの全てを松田氏が描いていたことです。この本が1980年に台湾で発行されていますが松田氏の名前が全く見当たりません。イラストはそのまま使われています。作品の解説ばかりで、歴史やルーティンや参考文献一覧が省略されていました。
1975年12月には3冊目が筑摩書房より発行されます。それが「奇術のたのしみ」です。松田氏の一冊目以上にすごさを感じました。あまりにも面白く、一気に読み終えた記憶が残っています。奇術そのものの魅力を語った本は外国にもほとんどなく、読みものとしての奇術の本を書かれた試みに心が奪われました。奇術やその関連書をどれだけ読めば、このような本が書けるのかと圧倒されました。この本が1985年に「ちくま文庫」から文庫本として発行されています。その後もちくま文庫からは1986年「トリックものがたり」、1987年「即席マジック入門」、1988年「ジョークのたのしみ」、1989年「トランプ・マジック」、1990年「面白いトランプ・ゲーム」が次々と文庫版として毎年発行されることになります。ちくま文庫以外では、1985年に講談社の「トリック・とりっぷ」が「トリックのある部屋」として文庫版に、1986年には社会思想社の「トリック専科」が現代教養文庫から文庫版として再販されています。
松田氏のマジックとの出会いは、4~5歳頃に父親から見せてもらった簡単なカード当てです。プロの奇術師を初めて見たのは、大阪の映画館で短編映画の間に演じられていたドイツ奇術師の演技です。シルクハットの中から次々と意外なものが取り出されテーブルに並べ、テーブルの品物の中から日本とドイツの国旗を取り出しています。たぶん戦時中ではないかと思います。ショーを見てあんなに興奮したのは初めてで、何日もの間フラッシュバックしてちらつく経験をしたそうです。なお、その頃にドイツ奇術師が出演していたことが私には意外でした。また、その頃の関西でメリケンハットから多数の品物を出現させた日本のプリンス・タイラー氏との関係が気になるところです。松田氏が4年生の時に従兄弟の大学生から見せられた手品にも大きな影響を受けています。紙に書いた文字を当てる手品です。従兄弟は何度も繰り返し演じさせられるのでタネを教えてしまいます。妹さんはすぐに興味をなくしたのに対し松田氏はより一層興味を持つようになります。上記のマジックに関しては、1985年の「超能力のトリック」172~179ページと、1994年の「ミラクル・トランプ・マジック」の架空対談を元にしています。
1951年発行の柴田直光著「奇術種あかし」を購入して大きな影響を受けますが、それ以上の影響が1956年発行の高木重朗著「トランプの不思議」です。読みやすさと作品の質の高さだけでなく巻末の海外文献紹介に感激したそうです。京都のアメリカ文化センターにThe Amateur Magician’s Handbookがあることが分かり、借り出して読みふけり、横浜分館よりModern Card Tricks and Secrets of Magicsも取り寄せています。また、丸善洋書部でThe Royal Road to Card Magicを注文し海外より取り寄せています。現在と違い、海外からの取り寄せには手数料や送料を含めて1ドルが500円ほどしていた時代です。しかも現在の500円とは価値が違います。松田氏が大学生の時のことです。1966年発行のThe Svengali No.3には会員のアンケート結果が報告されています。「一番好きな奇術書は?」で松田氏はThe Amateur Magician’s Handbookと書かれていました。松田氏はバーノンブックをほめたたえていたのですが、松田氏にとってはそれ以上の本であったわけです。その本は1950年発行で、アマチュアのために技法を使ったクロースアップから道具を使ったステージやイリュージョンまでを簡潔にまとめたハンドブックです。350ページ以上あります。そのような本を書きたい思いがあり、松田氏が最初に発行する本として基本技法を使うクロースアップが中心の入門書を考えられていたのかもしれません。
1960年頃に関西の熱烈奇術愛好家が大阪心斎橋近くの誓得寺会議室に結集します。これが数年後に大阪奇術愛好会となりますが、そこに松田氏も参加します。1965年に第1回大阪奇術愛好会クロースアップ・マジック・コンベンションが開催され、その頃よりThe Svengaliも発行されます。松田氏もほぼ毎号に記事や作品を掲載されています。この年の興味深いことが、松田道弘氏の蔵書の一覧が近藤勝編集「日本奇術文献ノート No.64」に掲載されたことです。海外の多数の文献だけでなく、日本の古い文献や近藤氏による江戸時代の復刻版も多数蔵書されていたことが分かります。「真ん中の核は格段に豊富な知識でプロフェッサーのような松田道弘さんでした」と、その当時の大阪奇術愛好会のことをSvengali No.21で畑文明氏が報告されていました。The New Magic には1966年から75年まで掲載が継続され、1971年からは奇術界報にも連載が開始されます。1968年に結婚され新住所として神戸市東灘区茶屋へ移られます。奥様は松田氏と同じラジオ関西勤務で、定年まで勤められたことをIBMメンバーから伺っていますが正確なことは分かりません。松田氏の1965年から1979年までのマニア向けの記事は、ご自身の考えをストレートに書かれています。その点では、プロの著述家となった以降とは大きな違いがあります。なお、その頃のマニアとしての記事に関しては、2025年4月13日に発行予定のThe Svengali No.28に掲載を予定しています。
1974年と75年に発行の3冊があまりにも素晴らしく、その後発行される本への期待が高まりました。しかし、残念なことに、1987年まではマジック以外の記事が中心になります。遊び、ゲーム、パズル、ジョーク、ミステリ評論などです。1979年に石田天海賞を受賞され、1980年には受賞記念の作品集が発行されますが、それは賛同者だけに配本される特別な著書です。1987年に同じ発行所から「マニアのためのカードマジック」が発行され、やっとマニア向けの奇術書が発行された印象でした。1979年に「トランプのたのしみ」(ちくま少年図書館)、「とりっくものがたり」(筑摩書房)、「トランプものがたり」(岩波書店)が発行されます。トランプやトリックの記事ですがマジックではありません。それらの方が一般読者向けになるのかもしれません。1980年には毎日新聞夕刊へ週1回を1年間連載され、月刊誌「小説現代」にも1980年1月号から82年12月号まで連載されます。前者が1982年に「トリック専科」(社会思想社)、後者が「トリック・とりっぷ」(講談社)の本として発行されます。また、1980年~1986年まで「松田道弘 遊びの本」全6巻が筑摩書房より発行されています。6冊の書名は後の著書一覧を参考にして下さい。1冊目がカードマジックの本ですが、初歩的な誰にでもできる一般読者向けです。プロ著述家となった1978年以降もマジック・マニアとしての活動は続けられ、IBM大阪や神戸のマジックの会にも参加されています。そして、1985年からの著作が徐々にマジックの分野に戻ってきます。1985年の「不可能からの脱出」や「超能力のトリック」はマニアにもおすすめの本です。マニア作品としては、1985年の不思議15号、86年の17号、89年の18号にカードマジックが掲載されます。そして、本格的なマジック著書としての発行が、1987年のThe New Magic 叢書「マニアのためのカードマジック」となりますが賛同者配本の本でした。しかし、1990年に東京堂出版から「松田道弘のカードマジック」として発行され、一般書店で購入できる著書になります。
この時期から東京堂出版との関わりが大きくなります。事典として1988年の「トランプゲーム事典」、1989年の「世界のゲーム事典」、1990年の「クロースアップ・マジック事典」が発行されます。「クロースアップ・マジック事典」は事典というよりも1974年の「クロースアップ・マジック」の本の続編といった印象です。用語説明の項目もありません。興味深いことが、イラストを六人部氏が描かれていたことです。六人部氏は神戸において、松田氏や三輪氏から大きな影響を受けていました。1989年秋には東京堂出版から年4回発行の「ザ・マジック」が発刊されます。2009年6月のNo.80まで継続されますが、毎号、松田氏の作品や記事が掲載されていました。この作品や記事を含めて松田氏のカードマジックの本や2008年の「トリックスター列伝」が発行されることになります。私が一番利用させてもらったのは1995年のマジシャン人名録「世界のマジシャン・フーズフー」です。コンパクトで便利でした。その後も事典が次々と発行されます。1996年「カジノゲーム入門事典」、1997年「メンタル・マジック事典」、2001年「トリック・カード事典」、2002年「クラシック・マジック事典」と03年に続編、2006年「世界のジョーク事典」、2008年「タロットカードマジック事典」です。マジック関連の事典はそろえておきたい本です。東京堂出版以外の本では、1993年~95年まで発行された筑摩書房の「松田道弘の遊びの冒険」全5巻はマニアであれば持っておくべき本です。この5冊の書名は後の著書一覧を参考にして下さい。特に2冊のカードマジックの本は、何度も読み返したほどの本でした。また、1992年「夢のクロースアップ・マジック劇場」(社会思想社)、2003年「マジック大全」(岩波書店)も素晴らしい本です。なお、この2冊の意外な共通点が、赤松洋一氏がイラストを担当されていたことです。東京堂出版の本の場合、ほとんどに小野坂東氏のイラストが使われています。そして、全ての本の校正やさまざまな作業を三田晧司氏が協力されていました。三田晧司氏の協力がかなり大きかったようです。その三田氏も2022年6月13日に亡くなられました。77歳でした。奥様は三田氏の数年前に亡くなられていました。
マジック界に多大な功績を残された松田道弘氏ですが、2010年代中頃以降にいろいろな状況が加わることになります。2016年で80歳ですが、歩行で転倒することがあり、杖をついて奥様と外出する状況でした。奥様も高齢で負担も大きくなり、充実した介護入居施設を探されました。松田氏は2018年前後には施設へ入居されているようです。その頃に奥様が亡くなられています。正確な月日が分かりませんでした。なお、お二人の間にはお子様がおられませんでした。 松田氏は入居を誰にも知られたくなかったようです。唯一知っていて時々面会されていたのが、長い付き合いの福岡康年氏だけでした。福岡氏は1970年から数年間にわたり全世界をストリートマジックと施設慰問され、ニューヨークではスライディーニの15回連続レクチャーを受けられたことでも話題の人物でした。松田氏宅を時々訪問されていた宮中桂煥氏が、久しぶりに訪問しようとしても連絡が取れなくなります。福岡氏に連絡して状況を知り、福岡氏と共に施設を訪問したのがコロナ流行の数ヶ月前とのことです。施設の豪華な応接間で面会し、松田氏は車椅子に乗られていたそうです。再度の訪問を約束しますが、2020年のコロナ流行により面会ができなくなります。福岡氏も2021年9月頃には急遽引っ越しされ連絡が取れなくなります。入院か施設入居された可能性があります。松田氏は両耳がほとんど聞こえない状態で、メールもされず、スマホも使っていませんでした。読書だけが楽しみであったのだと思います。
2021年11月には松田氏が亡くなったようだとの知らせが入りますが、確認の取りようがありませんでした。そのうちにネットか紙面で報告されると思っていましたが、いずれからも発表がありませんでした。宮中氏も何度か松田氏入居施設へ電話されますが、個人情報のため何も言えないと拒否されます。苦肉の策として、「年賀状を出していたのですが、年賀状は松田氏の手元に届くでしょうか」と尋ねると、返答に困っている様子とのことでした。それにより亡くなられた可能性が考えられますが、確定ではないので公表することができません。年賀状のことが施設から親族へ伝えられたためか、親族の方が多数の書籍や遺品を整理される時に年賀状を見つけられ、2022年中頃に年賀状を送られていた方へ亡くなった通知をされることになります。
松田道弘氏は写真や映像を撮られることが好きではありません。特にビデオによるマジック解説の時代になって、その傾向が強くなります。そのために演技映像がないのが残念です。1970年代中頃の発表会で松田氏の演技を見ましたがうまい印象でした。リフルシャフルもソフトタッチで行い、スマートでうまいと思った記憶だけがあります。2001年の松田氏のレクチャーは私の都合で遅れて参加し、少ししか見れなかったのですが、スプレッドカルのうまさに感心しました。2010年代中頃に私や若者がIBM大阪・大阪奇術愛好会に次々と参加しますが、時々出席されていた松田氏の演技を見せてもらえることがありませんでした。2016年7月の例会時に、松田氏との交流が長い福岡康年氏へ「私には松田さんはうまい印象しかないのですが、福岡さんからの印象はどうですか」と伺ったことがあります。その回答として「技術が素晴らしく、パーフェクトをめざしている。演技は客から見てシンプルな現象を」と答えられました。
2011年に久しぶりに開催された発表会に松田氏も出演されることになります。そのためか正式な開催通知の前に満席になってしまいます。仕方なく予定よりも大幅に多い観客数として開催されます。客席の後方からイスの上に立っても見えにくい状態です。特に松田氏の演技の時は立って見る人が多くなり後ろからは全く見えなくなります。そして、演技後に「ウォー」という歓声だけが聞こえてきました。この時はカードマジック1作品を演じただけでした。この時の催しで受付をされていたのが松田氏の奥様と三田氏の奥様でした。お二人が受付に座られているだけで、上品で素敵な催しであるムードを高めてもらえました。
松田道弘氏と最も長く親密に交流されていたのが三田晧司氏と福岡康年氏です。お二人からはもっと松田氏に関するお話を伺いたかったのですが、それができなくなっていたのが残念です。今回の記事をまとめるにあたり、上記のお二人以外で交流が長い赤松洋一氏と宮中桂煥氏にいくつかの点でお話を伺うことができました。また、松田氏と何度か会われたことのある上口龍生氏からも予想以上のたくさんのお話を伺えました。お礼を申し上げます。 最後に松田道弘氏のマジックに関わる経歴と松田氏の全ての著書を下記に掲載させて頂きます。なお、1965年から1979年までのマジック雑誌への記事のタイトルは、長くなりますのでここでは掲載しませんでした。2025年4月13日に発行予定のSvengali NO.28にそれらの記事のタイトルと興味深い記事について掲載させて頂きます。
1936年 2月京都生まれ
最初に見た奇術は4~5歳で父親の簡単なカード当て
ドイツ人奇術師のシルクハットから多数の品物出現に衝撃(戦時中?)
小学4年生頃に大学生から見せられた紙に書いた文字当てと種明かし
1951年 柴田直光著「奇術種あかし」を購入して大きな影響を受ける
1956年頃 高木重朗著「トランプの不思議」を古書店で購入
解説の内容だけでなく巻末の海外文献紹介に大きな影響を受ける
京都のアメリカ文化センターでThe Amateur Magician’s Handbook借出
丸善洋書部で「ロイヤル・ロード」を注文し海外より取り寄せる
1959年 同志社大学経済学部卒業 ラジオ関西勤務
1960年頃 関西の奇術愛好家の集まりに参加(のちの大阪奇術愛好会)
1965年 第1回大阪奇術愛好会クロースアップマジックコンベンションに出演
The Svengaliが発行され記事や作品を掲載
近藤勝日本奇術文献ノート No.64に松田道弘蔵書目録が掲載
1966年 The New Magicにも掲載を開始
1968年 結婚 新住所として神戸市東灘区茶屋
1971年 奇術界報に連載を開始
1972年 Maniac No.1に記事を掲載 翌年のNo.2に作品掲載
1974年 最初の著書「クロースアップ・マジック」を発行 金沢文庫
1975年 本2冊発行「奇術の楽しみ」筑摩書房、「シルク奇術入門」日本文芸社
1978年 ラジオ関西退職 著述に専念
1979年 第12回石田天海賞受賞
(その後の著書は下記の著書一覧を参照して下さい)
1989年 ザ・マジックが9月より発刊 2009年6月の80号まで毎号記事掲載
1990年 9月にクロースアップ・マジック事典を発行
東京の八重洲の催しに出演と著書のサイン会
1995年 1月17日早朝 阪神淡路大震災で被害を受ける
1995年創元推理9の「とりびある・のおと1 災害パズル」に詳細記事
2001年 松田道弘レクチャーを開催
2011年 最後のカードマジック作品集 The Way of Thinking 東京堂出版
2011年 最後の著書 高木重朗著トランプの不思議復刻版&解説 東京堂出版
2011年 5月15日 大阪奇術愛好会・IBM大阪クロースアップの集い 最後の出演
2015年 最後の記事 The Svengali No.20 フェイク/ノンフェイク・ビジターの共同開発
2017年 9月の大阪奇術愛好会・IBM大阪リングの例会に最後の出席
2018年前後? 介護老人施設へ入居 奥様死亡
2019年 秋に宮中氏が福岡氏と共に施設の応接室で面会
2020年 3月からのコロナ流行により面会不可に
2021年 10月24日老衰のため死亡、85歳
(マジック関連著書)
1974 クロースアップ・マジック 金沢文庫
1987 即席マジック入門 ちくま文庫より文庫本で発行
2005 クロースアップ・マジック 他から復刊
1975 シルク奇術入門 日本文芸社 著者によるイラスト
1980 台湾より作品部分のみで発行 陳志昌編著 イラストは原著のまま使用
1987 奇術入門シリーズ シルクマジック 東京堂出版
1975 奇術のたのしみ 筑摩書房 ちくま少年図書館30として発行
1985 ちくま文庫より文庫本で発行
1980 第12回 石田天海賞受賞記念 松田道弘作品集 カップ&ボール、その他
1980 トランプ・マジック 筑摩書房 松田道弘あそびの本1として
1989 ちくま文庫より文庫本で発行
1985 不可能からの脱出 超能力を演出したショウマン フーディーニ 王国社
1985 超能力のトリック 講談社現代新書
1987 The New Magic 叢書 マニアのためのカードマジック
1990 松田道弘のカードマジック 東京堂出版(上記1987年の著書の新編集版)
1990 クロースアップ・マジック事典 東京堂出版
1992 夢のクロースアップ・マジック劇場 社会思想社
2005年に東京堂出版より復刊
1992 トリックで遊ぶ本 社会思想社
1993~1995 松田道弘 遊びの冒険全5巻 筑摩書房 2001年に他から復刊
1993 トランプ・マジック・スペシャル
1993 超能力マジックの世界
1994 ギャンブルのトリック
1994 ミラクル・トランプ・マジック
1995 とっておきクロースアップ・マジック
1994 松田道弘のクロースアップ・カードマジック 東京堂出版
1995 世界のマジシャン・フーズフー マジシャン人名録 東京堂出版
1996 松田道弘のマニアック・カードマジック 東京堂出版
1996 マジック・ビデオ90選 (三田皓司との共著)東京堂出版
1997 メンタルマジック事典 東京堂出版
1999 現代カードマジックのアイディア 東京堂出版
1999 おどろきの発見 マジック世界の魅力 岩波ジュニア新書
2001 トリック・カード事典 東京堂出版
2002 クラシック・マジック事典 東京堂出版
2003 クラシック・マジック事典Ⅱ 東京堂出版
2003 マジック大全 岩波書店
2003 現代カードマジックのテクニック 東京堂出版
2005 魅惑のトリックカード・マジック 東京堂出版
2006 松田道弘のオリジナル・カードマジック 東京堂出版
2008 タロットカード・マジック事典 東京堂出版
2008 松田道弘のシックなカードマジック 東京堂出版
2008 トリックスター列伝 近代マジック小史 東京堂出版
2011 カードマジック The Way of Thinking 東京堂出版
2011 高木重朗著トランプの不思議 松田道弘復刻版32ページ解説 東京堂出版
(遊び・ジョーク・ミステリ関連著書)
1979 トランプのたのしみ ちくま少年図書館
1979 とりっくものがたり 筑摩書房(ちくまぶっくす)
1986 トリックものがたり ちくま文庫
1979 トランプものがたり 岩波書店
1980~1986 松田道弘 遊びの本 全6巻 筑摩書房
1980 トランプ・マジック(上記マジック関連著書にも記載)
1981 ボード・ゲーム
1982 ふたりで遊ぶ本
1982 面白いトランプ・ゲーム(1990年ちくま文庫として発行)
1984 ひとりで遊ぶ本
1986 チェスの楽しみ
1982 トリック専科 社会思想社
1980年に毎日新聞夕刊へ週1回を1年間連載
1986 社会思想社の現代教養文庫として文庫本で発行
1982 遊び時間の発想(織田正吉との共著)日本経済新聞社
1982 トリック・とりっぷ 講談社
月刊誌「小説現代」の1980年1月号から82年12月号まで連載
1985年に講談社文庫『トリックのある部屋 私のミステリ案内』として
1984 ジョークのたのしみ 筑摩書房(1988年ちくま文庫として発行。
1984 遊びの世界 実技指導による遊びの再発見 チャイルド本社
1984 頭が遊ぶ発想教室 「知的興奮」から「創造的思考」へ PHP研究所
1985 ジョークでパズる 講談社
1987 おもしろゲーム実戦本 講談社文庫
1988 ミステリ作家のたくらみ 筑摩書房
1988 遊びの世界の味覚地図 社会思想社
1988 トランプゲーム事典 東京堂出版
1988 デヴィッド・パーレット著「トランプ・ゲーム大百科」翻訳 社会思想社
1989 世界のゲーム事典 東京堂出版
1991 ピエール・ベルロカン著「ロジックのパズル」翻訳 社会思想社 文庫本
1993 ベストゲーム・カタログ 遊びの新世界をパトロール 現代教養文庫
1996 遊びとジョークの本 筑摩書房
1996 カジノゲーム入門事典(谷岡一郎との共著) 東京堂出版
1998 トランプ入門 楽しくはじめる 小学館
1998 マイク・フォックス、リチャード・ジェイムズ著「完全チェス読本2」翻訳
2000 将棋とチェスの話 盤上ゲームの魅力 岩波ジュニア新書
2006 世界のジョーク事典 東京堂出版
(上記以外での掲載記事)
1981 岩波書店 叢書文化の現在 第8巻 交換と媒介
トリックという名のディプロマシー 24ページ
2003年マジック大全に再録
1995 創元推理9 とりびある・のおと1 災害パズル 8ページ
1995 創元推理11 とりびある・のおと2 あぶないジョーク
1996 創元推理12 とりびある・のおと3 15年目のタイムカプセル
1996 創元推理13 とりびある・のおと4 早春箱根のファウスト願望
1996 創元推理14 とりびある・のおと5 映画観客のひそやかな愉しみ
1996 創元推理15 とりびある・のおと6 悪い演出家がいるだけなのか
1997 創元推理16 とりびある・のおと7 象は忘れない?
1997 創元推理17 とりびある・のおと8 兵が詭道にあるのなら