Jordan Countは、ジョーダン・カウントでよいのでしょうか。あるいは、ヨルダン・カウントとすべきでしょうか。ちょっと気になるところです。日本のマジック書と英和辞典や人名事典での状況を報告したいと思います。 |
英語ではJordan Countですが、日本のマジック書では、ジョーダン・カウントと書かれている場合と、ヨルダン・カウントになっている場合とがあります。どちらで書く方がよいのか迷ってしまいます。しかし、最近の傾向をみていますと、ジョーダン・カウントと書かれるのをおすすめしたくなります。 |
アメリカでジョーダン・カウントの名前がマジック書に登場するのは、1970年以降です。もちろん、日本のマジック書にジョーダン・カウントの名前が登場するのは、それよりもかなり後になります。しかし、ジョーダンのマジックの作品は、アメリカにおいて、1915年から1923年までで200以上発表されています。日本においても、かなり以前から、一部分ではありますが日本語訳され、紹介されていました。1959年には、金沢養訳「数学マジック」(マーティン・ガードナー著)が発行され、ジョーダンのマジックが4作品解説されています。そして、その全ての作品に、ジョーダンと書かれていました。また、1973年の奇術研究68号では、松田秀次郎氏の作品が発表されていますが、その原案者名をジョーダンと書かれていました。そして、1980年には、松田道弘氏の「トランプ・マジック」が発行され、その中の「郵便トリック」の作者名も、ジョーダンと書かれていました。つまり、1980年頃までのマジック書では、ジョーダンのカタカナ表記が一般的であったようです。 |
このカウントが、ジョーダンにより初めて解説されたのは1919年です。ジョーダンの作品集「サーティ・カード・ミステリー」の中の「ファントム・エーセス」において使用されています。この時、このカウントは、カードの配列を変えるために使われており、特に名前はつけられていませんでした。4枚のエースが、赤黒交互に並んでいるのを客に示した後、裏向けてジョーダン・カウントします。客には、カウントしながら、カードの配列を逆にしただけのようにしか見えません。そして、客に、裏向きの4枚から、同じ色のカード2枚を取るように依頼しますが、赤黒1枚ずつ取ってしまう結果になります。このマジックが、インパクトの強い作品でなかったためか、これに使用されたカウントも話題にならず、忘れられた存在となります。 |
1968年11月号の「ヒューガード・マジック・マンスリー」に、ノーマン・ヒュートン"Norman Houghton"による「Modified(変更した)・エルムズリー・カウント」が発表されます。いろいろな改案のエルムズリー・カウントが発表されている中で、彼は4枚のカードの中の4枚目(ボトムカード)を見せないで、カウントする方法を考えたとして発表されます。エルムズリー・カウントは3枚目のカードを見せずにカウントする方法であり、ヒュートンの考えは、単に、エルムズリー・カウントの改案といった思いしかなかったようです。 |
1975年のカール・ファルブスによるマジック誌「エピローグ」No.23には、マルローへの批判文が掲載されています。マルローが考案したかのように書かれていた多くのものが、実は、彼が最初ではなかったことを、いくつかの事例をあげて報告していました。そして、そのような疑問をいだかせる最初のきっかけとなったものが、マルローの「フレキシブル・カウント」であったと書いています。1919年に発表されたジョーダンによるカウントと同様な考案(リ・インベンションと書かれています)であるのに、フレキシブル・カウントの解説時には、ジョーダンのことに、全く触れられていなかったと批判しています。カール・ファルブスがこの記事を書いた頃より、マルローの記載は信用出来ないとして、マジックや技法の歴史経過を書く時に、マルローの名前を一切書かないようになりました。 |
最近の日本や海外のマジック書を見ますと、エルムズリーやジョーダンのカウントの仕方が、最初の頃と大きく変わってきています。カードの持ち方の変化や、ピンチして持つ位置の変化もありますが、最も大きな変化は、カウントする方向が変わったことです。 |
最初の予定では、ジョーダンの疑惑についても報告するつもりでした。しかし、それだけでも、かなり長くなることと、もう少し調査したいこともありましたので、今回は割愛することにしました。ただし、どのような疑惑かだけは、少し触れておきたいと思います。ジョーダンが1915年から1923年までの間に、200以上のマジックを発表していますが、それらの本当の考案者は、彼ではないという疑惑です。もしも、これが真実であれば、ジョーダン・カウントの名前も変更する必要が出てきます。結局、真実は謎のままであり、単なる疑惑だけのままで終わりそうで、何も変わることはないと思われます。 |