今回は石田天海氏の「天海ペニー」トリック(ツー・ペニー・トリック)に使用されたバックピンチを取り上げました。これを現代では「天海ピンチ」と呼ばれています。まれに、「天海バッククリップ」と書かれていることもあります。小指と薬指の間へバックピンチする方法ですが、昔から使われている方法の一つと思っていました。しかし、「天海ペニー」のトリックに初めて使われたものであることが、今回の調査によりはっきりしました。
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小指を使ったバックピンチの場合、現代では、ほとんど、天海ピンチの名前で解説されています。しかし、他の指間の場合、バッククリップとだけ書かれています。中指と薬指間にバッククリップする作品が、予想以上に発表されています。また、アメリカのマジック書では、指間にはさむ行為を、クリップすると書いている本を多く見かけます。もちろん、ピンチすると書いていた本もありますが少数です。なお、1900年のネルソン・ダウンズのコインの本では、グリップすると書かれていました。 |
「天海ペニー」のトリックについては、2008年にマジックハウス社より発行された「天海の秘密」のDVDで、小川勝繁氏が実演・解説されています。石田天海氏のマジックは、二代目天海の松浦天海氏(2008年死亡)が受け継がれました。そして、二代目天海氏より秘密を受け継いだのが小川勝繁氏であり、このDVDはコインマジックを中心にまとめたものです。世界的に大きな影響を与えた天海氏のマジックを、埋もれさせないためにも発表されたDVDです。
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1950年の「ヒューガード・マジック・マンスリー」11月号のマーチン・ガードナーのコーナーで、「天海ペニー」として初めて解説されます。マーチン・ガードナーはソル・ストーンから教わっており、ソル・ストーンは Edmund Balducci より教わっていました。そして、Balducci は1935年頃に天海氏より教わっていたことが報告されていました。ここに書かれた解説とイラストで奇妙に思ったのは、バックピンチを中指と薬指の間でしていたことです。初期の頃は、天海氏がそのようにしていたのかと思ってしまいます。あるいは、ガードナーに伝わるまでに、間違って伝えられたのかとも思いました。
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「天海ペニー」のトリックに天海ピンチが使われる以前にも、小指によるバックピンチが使われていました。1900年に発行されたネルソン・ダウンズ著「モダン・コイン・マニピュレーション」の本に、既に登場しているからです。しかし、ステージにおいて、手掌を客席に向けて、後方へ水平に突き出した状態のピンチでした。近くで見ると、指の間からコインのエッジが見えます。天海ピンチの特徴は、小指を薬指の後方へわずかにずらしてピンチすることにより、コインが指の背面へ近づく状態にしていることです。角度的に暴露しにくくなるだけでなく、指間からコインのエッジが見えることも無くなり、強くピンチ出来るので落とす心配もありません。 |
1953年に発行されたローバート・パリッシュ著による天海の作品集です。天海氏の六つのトリックが記載されており、その中で「ツー・ペニー・トリック」のタイトルで解説されています。こちらでは、もちろん、小指と薬指の間でのバックピンチの解説とイラストになっています。
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1966年にこの本がBobo著により発行されます。1952年に358ページで製作された「モダン・コインマジック」を、519ページまで大幅に増量し発行されたものです。この66年度版に、新たに加えられたのが「ゴッシュマン・ピンチ」の解説であり、それを使った作品の解説も加わりました。「ゴッシュマン・ピンチ」の解説だけで2ページを使い、冒頭には、そのすばらしさを力説しています。それを使った作品として、ゴッシュマンやシュワルツマンの作品だけでなく、天海氏の「天海ペニー」も解説されていました。驚くべきことには、「天海ペニー」の解説においても、ゴッシュマン・ピンチすると書かれていたことです。
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1974年に、ジェラルド・コスキーとアーノルド・ファースト共著により「ザ・マジック・オブ・テンカイ」が発行されました。143ページの本で "Six Trick by Tenkai" や「カードマニピュレイティブ・ルーティーン」、そして、アメリカのマジック誌に解説された作品が再録されています。天海氏の経歴が最初に記載されていますが、日本で発行された「奇術五十年」に比べ、新しい内容記載はありませんでした。それだけでなく、各作品が掲載された本やマジック誌の発行年の記載がなかったのが残念です。各作品についても、製作年数や何に影響を受けた作品であるのかの記載もありませんでした。 |
1975年にスコッティー・ヨークが "Coins" の小冊子を発行しています。この冒頭に、最初にバッククリップを考えた人物は石田天海氏だと思うと報告しています。そして、アメリカで広めたのはゴッシュマンで、ゴッシュマン・ピンチとも呼ばれると書き加えられていました。しかし、天海ピンチの名前は、まだ、使われておらず、作品の中ではバッククリップすると書かれているだけです。そして、スコッティー・ヨークによるバッククリップ状態にもってゆく方法が解説されています。コインを中指と薬指の間を通過させ、その後、小指でバッククリップしています。これを使った「トリプルチェンジ・スペルバウンド」と「2枚の銅貨と1枚の銀貨の入れかわり」が解説されていました。ところで、このバッククリップの方法やスペルバウンドの作品は、1974年の Genii 誌11月号に、もう一つの作品は1975年9月号に解説されたものです。この Genii 誌には、バッククリップすると書かれているだけで、天海やゴッシュマンの名前の記載がありませんでした。
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1978年には、マーチン・ガードナー著による "Encyclopedia of Impromptu Magic" が発行され、その中に、「天海ペニー」も解説されていました。「ヒューガード・マジック・マンスリー」誌のマーチン・ガードナーのコーナーで解説した内容を元にして、多数の即席マジックが簡潔に紹介されています。「天海ペニー」に関しては、その詳細は「ヒューガード・マジック・マンスリー」を参照するように書かれています。そのために、多数あったイラストが全て省略されており、この本だけでは、「天海ペニー」の方法がほとんど分かりません。この本でもバックのクリップは中指と薬指のままですが、右掌を上に向けて開いた時に、右人差し指と中指の間へクリップを移すと書かれているのにはビックリしました。意味不明で、頭が混乱するだけです。このすぐ後、"Six Tricks by Tenkai" では、最初から最後まで、バックのクリップは小指と薬指の間になっていると書かれていました。この部分は、評価出来る追加記載でした。さらに、これに続ける現象が二つ書き加えられています。右手の2枚から、1枚を左手へ渡したように見せて両手を握ると、右手から2枚が現れます。同じことをもう一度繰り返す時に、今度は、もう1枚も秘かに移動させ、左手の方が2枚になる現象です。
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スコッティー・ヨークや Rosenthal の記載により、ゴッシュマン・ピンチの名前がなくなるかと思えば、1979年以降の方が、逆に、ゴッシュマン・ピンチの名前ばかりになりました。「ニュー・モダン・コインマジック」の本の影響が、しばらく年数を経た方が大きく出てきたようです。これまでにも、1971年の Kabbala 誌の著者 Jon Racherbaumer や1973年の「クロースアップ・カバルケード」の著者 Jerry Mentzer は、ゴッシュマン・ピンチの名前を使っていました。しかし、それ以外では見つけることが出来ませんでした。それよりも、1979年から85年までの間に、集中的にバックピンチの作品が発表され、ゴッシュマン・ピンチの名前が使われています。作品名や著書名は、コラムの最後の参考文献一覧を見て頂くとして、ここでは、年数と著者名、または作者名を中心に簡潔な記載で紹介します。
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1986年にマイク・マックスウェル著「ザ・クラシックマジック・オブ・ラリー・ジェニングス」が発行され、107ページの「コイン・アンド・ハンカチーフ」で天海ピンチの名前が初めて登場します。そこには、ゴッシュマン・ピンチとも呼ばれると書き加えられていました。1987年のスティーブン・ミンチ著「ザ・バーノン・クロニクス Vol.1」の "Crussed Destinies" では、「天海バッククリップ」と書かれていました。1988年のリチャード・カウフマン著の沢浩氏の作品集「サワ・マジック・ライブラリー」には、天海ピンチと書かれています。そして、4作品共に天海ピンチを使った作品で統一されていました。それぞれに別法も解説されていますが、1作品以外は、天海ピンチを使わない場合の方法となっていました。
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86年のジェニングスの本に天海ピンチの名前が初めて登場しますが、これはジェニングスが天海ピンチの名前を使っていたからでしょうか。あるいは、この本の著者のマイク・マックスウェルの判断で天海ピンチの名前にしたのでしょうか。いずれにしましても、ゴッシュマン・ピンチのままでは問題があるといった気運が高まっていたのだと思います。または、天海ピンチや天海バッククリップの名前を使っているマジシャンがいたのかもしれません。
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日本では、コインマジックの本を、二川滋夫氏が数冊発行されています。アメリカでは、1986年に天海ピンチの名前が登場して大きく変化しますが、日本でも二川氏は、それにすばやく対応されていました。1986年に二川滋夫、高木重朗共著「コインマジック事典」が発行されます。この中のバックピンチの解説では、ゴッシュマン・ピンチという名もついていると書かれているだけでした。ところが、1987年発行の二川滋夫著「コインマジック」では、「天海ペニー・トリック」の解説の後で、天海ピンチの名前を登場させていました。さらに面白い変化が、1982年の "Richard's Almanac Vol.1、 No.1" のジェフリー・ラタのコインマジックでの解説です。82年ですので、ゴッシュマン・ピンチの名前が使われていました。ところで、1991年にマジックランド社より、安崎浩一氏による日本語訳版が発行されます。そこには、天海ピンチ(ゴッシュマン・ピンチとも呼ぶ)と書き変えられていました。 |
今回の調査で海外の文献では、1986年以降、小指によるバックピンチを天海ピンチと呼ぶのが一般的になっていることが分かりました。天海ピンチと書かれた後で、補足としてゴッシュマン・ピンチの名前が書かれることがあります。しかし、ゴッシュマン・ピンチの方がメインの記載になったり、単独の記載になることは、無いに等しい状態となりました。インターネットの普及により、海外の文献が手に入れやすくなり、また、情報変化の対応もすばやくなりました。
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