2010年11月に「奇術探究第7号」が発行されました。今回は「コレクター」作品の特集号で、私も「最近のコレクターの傾向について」を7ページにわたって報告させて頂きました。1995年以降の50作品以上を調査して驚いたのは、スプレッド・カルを使った作品が目につくようになったことです。それまでの「コレクター」には、スプレッド・カルがほとんど使われていませんでした。2000年代に入ると、コスチャー・キムラットの影響で、さらに、スプレッド・カルの認知度と関心が高まったように思います。
|
スプレッド・カルの原案者は、19世紀中頃に活躍したオーストリアのホフジンサーです。この技法が解説されているホフジンサーのカードマジックの本は、1910年にオトカー・フィッシャーによりドイツ語で発行され、1931年にS. H. シャープが英訳して発行しています。そして、1940年代より、それを改良や応用した方法が次々に発表されました。しかし、そうであるにも関わらず、1970年代までホフジンサーの名前が文献上にクレジットされることがありませんでした。最初にきっちりとクレジットしていたのはアレン・アッカーマンでした。
|
一般にスプレッド・カルといえば、デックを両手の間で広げて、必要とするカードを右指によりスプレッドの下へ引き出して、特定の位置へ持ってゆく技法です。これは、ホフジンサーの本の "Synonymous Thought First Method" の作品の中で解説されています。その解説では、二人の客が思ったカードを、それぞれデックから抜き取らせています。1枚目をデックの中へ戻させた時に、右中指と薬指によりスプレッドの下側へ引き出します。左親指は直ぐ上のカードを左へ引いて隙間をカバーしています。引き出したカードは、デックをそろえる時にボトムへ持ってきます。2枚目のカードもデックへ戻された後、同様な操作により下側へ引き出し、ボトムへ持ってきています。
|
カルとしか書かれていない場合、スプレッド・カルではないことがあります。ギャンブルにおいて、勝負を有利にするためのカードを集める方法が解説されている場合があるからです。オーバーハンド・シャフルを使って、必要なカードを特定位置へ集める方法が数冊の本に解説されています。特に有名なのが、アードネスの「エキスパート・アット・ザ・カードテーブル」の本です。なお、スプレッドを使用するカルでも別タイプのものがあります。目的のカードをイン・ジョグして、スプレッドを閉じた後に抜き出してトップにもってくる方法があるからです。
|
私の調査では、スプレッド・カルの名前が初めて登場するのは、ヒューガード&ブラウエ共著「エキスパート・カード・テクニック」です。ところで、この本の方法はスプレッドの下へ引き出す方法ではありません。上側へ引き出す方法です。両手の間で表向きにスプレッドしますが、外エンドを少し持ち上げて表が客に見えないようにしています。エース・カードが見つかれば、左親指で上側の左へ引き出し、その後、右端のトップに集めています。これを他のエースでも同様に行います。このままデックをそろえて裏向ければ、4枚のエースがボトムに集まっていることになります。トップに4枚のエースを集めたい場合は、ボトムの4枚をオーバーハンド・シャフルにより、トップへ移すことになります。この方法は、上記にも報告しましたように、ホフジンサーの本のイラストから影響をうけて考案されたものではないかと思っています。この画期的な方法が誰のものであるのかの記載がありません。当時の一部のマニアやマジシャンの間で知れわたっていた方法であったのかどうかも分かりません。私は著者のヒューガードやブラウエの考案の可能性は少ないと思っています。この本の特徴は、考案者名が書かれていないものが多いことです。ヒューガードはニューヨークなどの東海岸を中心に集めたものであり、ブラウエは西海岸で、チャーリー・ミラーより見せてもらったものを勝手に文章化したものが中心になっています。当時のダイ・バーノンは、ニューヨークを中心に活動しており、チャーリー・ミラーとは以前からの深い交流関係にありました。そういった点で、この本にはバーノンの考案が多数含まれているとうわさされているのですが、このスプレッド・カルもバーノン考案の可能性がないとはいえません。 |
1913年にダイ・バーノンがカナダからニューヨークを訪れた時には、既にスプレッド・カルを使ったマジックを完成させ実演していたことが分かりました。1915年からニューヨークに移り住みますが、それを使ったマジックで多くのマジシャンやマニアを煙に巻いていたようです。ホフジンサーのカードマジックは、1910年にドイツ語で発行されていただけです。英語版での全訳発行は1931年です。つまり、1910年代や20年代のアメリカでは、スプレッド・カルの存在を知っているマジシャンやマニアがほとんどいなかったと言ってもよい状況です。そうであるにも関わらず、バーノンはスプレッド・カルを使った作品を既に演じていたわけです。私は長い間、バーノンの発表作品の中に、スプレッド・カルを使ったものがないので不思議に思っていました。しかし、1988年の「バーノン・クロニクル Vol. 2」の中で、初めて、これを使った作品が解説されたのを読んで驚きました。"Driven to The Depths"のタイトルの作品ですが、1913年には既に演じていたことが記載されていたからです。バーノンがカナダにいた学生時代に、世界で活躍しているカナダ・マジシャンの Allen Shaw よりスプレッド・カルの存在を教わりました。そして、それを使ったマジックを完成させたわけです。
|
マルローはスプレッド・カルに関して、多数の改案や応用を発表して大きな貢献をしています。しかし、この分野ではコンビンシング・コントロール以外はあまり知られていません。しかも、それには、マルローの独自性がほとんどないことが、その後になって分かってきました。マルローの問題点は、ホフジンサーをクレジットしなかっただけでなく、何を元にしていたのかも書かなかった点です。いろいろ問題がありますが、新しい発想や改良があり、目がはなせないのもマルローです。特に複数のカードを次々にカルすることに関しての発想にはすばらしいものがあります。そこで、マルローは何を発表してきたのかを、少し長くなりますが、最初の発表から順に紹介することにしました。
|
マルローがコンビンシング・コントロールを発表することになったのは、アッカーマンが自分の改案方法を発表したいとの申し入れが1969年にあったからのようです。マルローの方法は、アッカーマンとラッカーバウマーには見せていました。その結果、マルローが1970年に発表した同年にアッカーマンの方法も発表されています。彼の作品集「カード・マフィア・イフェクト」に「カード・パス」として解説しています。スプレッドして客の指定した位置で分割して、左手パケットのトップの2枚を重ねて1枚として右手スプレッドの左端に取ります。右手スプレッドの表を示し、左端の客のカードを覚えてもらいます。右手スプレッドを裏向きに戻してから、スイッチとアウトジョグが行われます。なお、この解説の中で、マルローの方法は「ホフジンサー・スプレッド・パス」を改良したものと記載していました。
|
1970年以前で、スプレッドの中から下へ引き出す方法を使って発表していたのは、エドワード・ビクターだけでした。彼の方法は、1952年のWillaneのパンフレットの作品の中で解説されています。両手の間でスプレッドして、客が選んだカードを少し広げ、スプレッドの外方を起こして表を示し、広がった部分の客のカードを覚えてもらいます。スプレッドを裏向きに戻す時に客のカードをスプレッドの下へ引き、その左側のカードを客のカードがあった位置へ移動させています。1940年の「エキスパート・カード・テクニック」は上へ引き出す方法であり、1948年の「ロイヤルロード・ツー・カードマジック」では、ボトムカードをスプレッドの中の特定のカードの隣へ持ってくる方法です。それ以外は、ファン・フォースの改案が発表されているだけでした。
|
複数枚のカルの方法は、1956年のマルローの「アクション・パーム」の小冊子に初めて登場しますが、重要な発表は1966年の「プレイヤー・カル」です。この技法の原案者をクレジットする場合に、ホフジンサーの名前をあげるだけでなく、マルローの「プレイヤー・カル」を記載する著者も少なくありません。これが、先にカルしたカードの下側へ次々にカルする方法を確立したものでもあるからです。しかし、現代の方法とは、かなり違った印象を受けます。トップ数枚のパケットを右手に取ってから、その上でスプレッドしているからです。そのパケットにより、右手のスプレッドを安定させるだけでなく、その後のカルすべきカードをスムーズにそのパケットの下側へ引き取ることが出来ます。1980年代に入って、ディングルとフランク・サイモンが、シンプルでダイレクトな方法を発表しています。最初にカルしたカードに、上記のパケットと同じ役割を持たせ、次にカルするカードをスムーズに下側へ引き取っています。その後、マルローも改良した方法を発表しますが、最初に関係ない1枚をカルしてから行っています。このカードを、上記と同様な役割を持たせているのですが、わざわざ不要なカードをカルする必要性が感じられません。86年には、ジェニングスの「ウェッジ・カル」も発表されていますが、これら全てが、先にカルしたカードの下側へ取る方式です。ところで、このような複数枚のカルで、1980年より前の発表は、二つしか見つけることが出来ませんでした。
|
今回の調査により、マルローのすごさと面白さを再認識することが出来ました。さらに、それ以上に、ダイ・バーノンの表には見せなかった隠れたすごさに思い知らされました。いろいろ調べましたので、もっと書きたいことがありました。スプレッド・カルをうまく行うための注意点や、左指と右指の使用の問題、そして、スプレッドすることの意味付けなども取り上げればよかったのですが、長くなりますので割愛しました。今回のコラムは最も長い報告となり、もっと短くすることも考えましたが、全てをそのまま報告することにしました。
|