日本では一般的であるのに、海外で演じられていないプロダクション用具にピラミッドがあります。最近になって、その原案がやっと見つかりました。1941年4月号のスフィンクス誌に掲載されていました。この原案を探し始めて6年以上経過しています。それに比べますと、数週間前にフレンチドロップの庄野氏から調査依頼されたコイン技法は、調査開始時は難航しましたが、翌日には考案者がポール・ハリスであることが分かりました。このことは12月4日付けのフレンチドロップ・メルマガコーナーの週刊スペルバウンドに掲載されましたが、もう少し追加して報告させていただきます。
これらのケースは幸運であったわけで、原案者がどうしても見つからないこともあります。ビンの口の上に5円玉を置いて、ビンの口に紙筒をはめて、筒の上からパチンコ玉を落とすと、5円玉を貫通してビンの中へ入る現象があります。6年以上前に、この原案者を尋ねられたので調べましたが、結局は見つけることができませんでした。数週間前にも別の人物から同様な質問を受けて、前回以上に徹底した調査をしましたが見つかっていません。
ところで、それらよりももっと大変なのが歴史のあるマジックの場合です。2020年はリンキングリングの歴史をかなり調べましたが、結局は分からないことばかりでした。そして、意外なこともいろいろと見つかりました。このことは2021年1月発行のToy Box最終号下巻で報告しましたが、その中の分からなかったことや訂正すべきことも報告させていただきます。
三角形の四つの壁で作られたピラミッド型のプロダクション用具です。最近では演じているのを見る機会が少なくなった印象ですが、昭和の後半ではよく演じられていた演目です。日本では高木重朗氏が1946年(昭和21年)6月発行の「奇術」第18号(日本奇術連盟発行)に”Break-away Box”の名前で発表されたのが最初です。2015年発行の植木将一編集「マジック用語辞典」には上記のことを含めた日本の最初の頃の状況が簡潔に紹介されています。この辞典が発行される数年前に植木氏よりピラミッドの原案についての質問を受けました。”Break-away Box”の名前がついている点から、1946年頃以前の海外のマジック書や雑誌と商品カタログも調べましたが同様なものを見つけることができませんでした。同じ名前の商品や作品はありますが、かなり違ったものでした。ところで、今年の夏になって戦前のスフィンクス誌の数年分が手に入り、それらの全体を眺めていてピラミッドの記事を見つけることができました。1941年は日米の関係がかなり悪化していましたが、1941年の夏頃まではスフィンクス誌の米国からの郵送が可能であったのだと思います。
1941年4月号のスフィンクス誌のE. Donald Emeryによる”Break-away Box”は、日本のピラミッドより、かなり先端が尖った三角形の板が使われています。考案者はSAM会員のアマチュアのようです。その三角板にはボール紙か金属板が使われ、ピラミッドの入り口はしっかりとした針金で四角形を作り、四つの三角板が針金の周りを動くように取り付けています。しかし、日本のピラミッドとは違って、三角が長いので四角形の口の中には入れず、1回転させることができません。
あらためは四つの形を作ることにより、全体をあらためたように見せています。最初の形は先端を上にしてピラミッドとして示し、2番目は前後の三角を下方に下ろしたダイヤモンドの形です。3番目は四つの三角全てを開いて突起がある星型として見せます。最後は口が上向のコーンの形にしています。口を少し演者側に傾け、ネタ場が見えないようにしてシルクを取り出すことになります。
高木重朗氏の解説のイラストを見ますと、原案ほど三角は尖っていないのですがピラミッドの口を通過させることができません。それに比べて1947年1月10日発行「奇術」の解説では、三角が正三角形に変えられ、ピラミッドの口を通して回転させることができるようになっていました。また、そのことを使って、新しいあらためが解説されていました。高木氏の解説は海外の原案を簡略して紹介し、タイトルも”Break-away Box”のままですが、1947年1月では大幅に改良され、タイトルも「ピラミットの神秘」に変更されています。この「奇術」誌の編集者が長谷川智氏ですので、1月号の改案は長谷川氏によるものか、長谷川氏が中心となった数名の考えをまとめた可能性も考えられます。なお、そのあらため方法の解説の後で、信沢清一(マギー信沢)氏のあらため方法も加えられていました。
Tokyo Cardicians Club 40周年記念号には高木重朗氏の年譜が掲載されています。その中で高木氏は7才で銀座の松屋の奇術店に通い詰め、10才でタコ松氏よりカードマジックの指導を受け、昭和18年の13才頃に松田昇太郎氏から奇術の洋書を読ませてもらい、手書き複写したことが報告されています。また、TAMCの柴田直光氏からは洋書をもらい受けていたことも報告されていました。その頃にスフィンクス誌を読まれて、ピラミッドの解説やイラストを書き写されたと考えられます。戦後のしばらくはマジックの情報が少なかった時代ですが、昭和21年の高木重朗氏は16才であるのに知識が豊富であったわけです。高木重朗氏はピラミッドの考案者ではありませんが、原案を日本に紹介した功績は大きいと言えます。高木氏が紹介していなければ、その後のピラミッドが存在していませんでした。原案は米国ですが、海外で商品化されたり話題になることもなく、それが日本ではピラミッドとして日本独自の改良が加えられ発展したマジックだと言えます。
庄野さんよりコインの上へカードを置くときにコインをスティールする技法名や考案者が分からないとの話を伺いました。マトリックスで有名なアル・シュナイダーではなかったとのことですので、ディングルかロス・バートラムかデビッド・ロスあたりですぐに分かると安易な考えを持ちました。帰宅後すぐに調べましたが全てが外れていました。翌日には二川滋夫氏の数冊の本やボーボーの「ニュー・モダン・コインマジック」だけでなく、ネットを使って調べましたが全く見つかりません。私が使っていた記憶があるだけでなく、庄野さんも使われていた技法ですので見つからないはずがありません。
気分を変えて思い出したのが、1970年代はディングル、ロイ・ウォルトン、ジェニングスの情報をいち早く取り入れていた時代で、70年代中頃よりポール・ハリスに執着して、いち早く本を購入して読んでいたことを思い出しました。その頃に庄野さんからコインマジックの面白さを教わり、新しい方法や作品を追い求めていた時代です。ポール・ハリスもいくつかのコインマジックを発表していますので、最後の頼みとしてそれらの本を調べますと、やっと見つけることができました。1979年のポール・ハリス著”Close-Up Entertainer”の本の中の“The Silver Elevator”に使われていました。
クリップ・スティールと書かれ、その状態を分かりやすく描かれたイラストもありました。カードの下のコインが1枚ずつ消えて、デックの中央に1枚ずつ集まる現象です。変わった現象ですので、当時の私は練習して何度か演じた記憶があります。ただし、少し変わっているだけで単調な繰り返しの現象で小さくまとまった印象の作品です。そのために短期間で演じなくなり忘れた存在になっていました。重要なことは、この技法が1976年の”The Magic of Paul Harris”の本の”The Giant Killer Coin”に使用されていたことです。マトリックスを演じた後で、もう一度と言われた時に違った方法で演じて、最後にジャイアント・コインを出現させる現象です。こちらでは技法名がなく、単にスティールする方法として解説されているだけでした。
その後、さらに調べなおして新しい情報が得られました。2005年にToy Box 8号が発行されていますが、こざわまさゆきさんが8枚を使ったコインアセンブリーの”Octrix”を発表され、その中でこのスティールが使われていました。その技法説明でポールハリス・スティールと書かれ、Dean DillやRubinsteinのビデオに詳しく解説されているとのことでした。こざわさんの”Octrix”は2011年発行の”Incomplete Works”にも解説されています。ルービンシュタインは2008年に田代茂訳「コインベンション・レクチャーノート」にポール・ハリスのムーブでスティールすると解説されていました。現在では技法名をどのように呼ぶべきか確定できていませんが、ポール・ハリス・スティールが良いのではないかと思いました。余談ですが、Toy Box 8号では本の半分近くを私の原稿が占領してしまい、7ページ使ってコイン・アセンブリー、48ページで4Aアセンブリーの歴史上での気になったことを中心に報告していました。その中でアル・シュナイダーの「マトリックス」の最初の掲載が1970年のGenii誌9月号と記載しましたが、11月号の間違いであることが分かりました。
ところで、カードの下のコインを指でピンチして持ち上げる技法はこれが最初ではありません。アル・シュナイダーの「マトリックス」で既に使われていた方法です。ただし、こちらではコインを手の中にスティールする技法ではなく、数枚持っているカードの下に隠し持った状態にしています。ピックアップの方法も違っており、1976年のポール・ハリスは中指でコインを押さえて薬指をコインの下へ入れてピンチしています。1970年のシュナイダーは薬指でコインを押さえて、中指をコインの下へ入れています。つまり、逆になっています。また、1975年のエドワード・マルローの方法では、人差し指でコインを押さえて、中指をコインの下へ入れていました。マルローはThe New Topsの「インスタント・コイン・アセンブリー」で発表しています。いずれにしても、カードの下から完全にスティールするのはポール・ハリスが最初のようです。
ビンの口へ5円玉(50円玉)をのせ、筒状にした紙をビンの口にはめて上からパチンコ玉を落下させると、5円玉を通り抜けてビンに入るマジックがあります。日本では1970年代から多くの本に解説されています。コツが分かれば誰にでもできる不思議現象です。なぜ貫通できるのかは、紙筒の代わりに透明な筒で演じれば分かります。6年以上前に原案を調べた時には日本での最初は分かったのですが、海外の文献では全く見つけることができませんでした。そして、今回の徹底した調査でも見つかっていません。
ところで、この方法を最初に日本へ伝えたのは1968年に来日られたベンジャミン・クレイマン夫妻です。The New Magic 第7巻7号に「信じますか?」のタイトルでフロタ・マサトシ氏により解説されています。来日されたクレイマン夫妻の歓迎会で奥様が演じられたものです。その時は5円玉ではなくワッシャーが使われていました。つまり、日本のマジックではなく、クレイマン氏により日本に紹介されたことがはっきりしました。クレイマン氏はI.G.P.”The International Guild of Preatiditators”(世界手品師組合)の元会長で、I.B.M.やS.A.M.にも貢献され、1964年と1968年にはそれぞれの大使として世界中をご夫妻で巡られました。1959年には日本に8週間滞在し64年や68年にも来日されました。元の職業がプロのジャーナリストであった関係で、マジック書やマジック雑誌の編集の協力にも関わっています。ジャック・ミラー(1962年死亡)からマジックの指導を受けられ、その中の「ホールド・アウト」のマジックの本の編集を協力されたり、それを指導する活動もされています。彼が関わった文献だけでなく、各種のマジック雑誌や多数のマジック書と科学の実演の指導書などでも探しましたが見つけることができませんでした。海外では解説されていないのではないかと考えたくなります。クレイマン夫妻は1968年7月の来日前にロス、ハワイ、タヒチ、ニュージーランド、オーストラリア、シンガポールを巡られ、各地で「ホールド・アウト」のレクチャーをされていますので、その時に教わった可能性も考えられます。しかし、結局は謎のままです。参考として日本で解説された文献を報告させていただきます。
リンキングリングのように歴史のあるマジックの起源の調査となると容易ではありません。今年1月にToy Box最終号下巻が発行され、私は「リンキングリングの歴史の意外点」を掲載しました。少し前のコラム「バーノンとカーディニの6本リング」でもリンキングリングの起源について報告しましたが、結局、何も分からないままです。最も古いリングをつなげた目撃情報が1550年のGerolamo Cardanoの本での報告です。Cardanoの本でのリングのことは2007年度版のEncyclopedic Dictionary of Magicやネット上でのConjuring Creditsにも報告されているだけでなく、2019年のMagic Cafe Forumの中では少し詳しい内容で紹介されていました。その投稿では、Cardanoの本の2013年度版の英訳本を読まれて、第2巻の899ページにはその目撃情報が報告されていたようです。以前のコラムでは、スペインのマジシャンが演じたと書きましたが間違っている可能性が高そうです。起源の追求は重要ですが、より正確な記載が今後の課題です。
中国での初期の実演報告では、清代(1644年~1912年)早期の著名な女性芸人李賽児の「九連環」の簡単な報告があるだけで、その内容の詳細も、それ以前の明代の状況も分かっていません。明代には輪を使った舞踏や曲芸的な報告があるだけです。このことは1993発行の傳起鳳・傳騰龍著「中国芸能史」岡田陽一訳で報告されていました。中国での最初も今後の発見に期待するしかなさそうです。
日本おいては江戸時代に金輪と呼ばれ、1644年の右大臣近衛尚嗣の日記「尚嗣公記」の1月21日の記載に登場するのが最初のようです。放家の松田日向が近衛家に呼ばれて演じた演目が記録されており、その中に「かなハ」と記載されていました。このことは2016年発行の河合勝・長野栄俊著「日本奇術文化史」の中で報告されています。江戸時代で金輪の解説は「放下筌」だけですが、手品本以外にも金輪が演じられたことやその挿絵があり、「日本奇術文化史」にはその記録や挿絵が多数掲載されていました。問題はこれらの中に造形の挿絵や造形を演じた記録が全くなかったことです。造形が演じられていたのであれば印象的であり、その挿絵があっても不思議ではありません。全く記録がないのは、江戸時代に造形が演じられていなかったのではないかと考えたくなります。1820年の「金の草鞋」の本には三味線にあわせて3本の金輪の演技の挿絵と口上が描かれています。1970年発行の宮尾しげを・木村仙秀著「江戸庶民街芸風俗誌」に、その口上を読めるように書き直されていました。「東西東西、只今この金輪を残らず首にかけまして、ぬいてお目にかけます。もし金輪がぬけないときには、私の首をぬいてお帰りなされ。わたしの首は、随分ぬきさしが出来ますから、- - -」この後、今朝は首を置き忘れた滑稽な話に続きます。つまり、金輪を元にして面白い話で通行人の足を止めさせて客集めしているようです。造形が演じられていたら、口上に取り入れられていたはずだと思うのですがなかったわけです。
さらに、明治・大正時代で分からないことがあります。明治にリンキングリングが発展したと考えられますが、文献ではどのような解説がされていたのか気になりました。残念ながら、私が調査した範囲では解説された文献を見つけることができませんでした。このことは今回のToy Boxに「明治・大正時代にリンキングリングを解説した文献があったのか?」として報告しました。放下筌以降で私が見つけた最初の解説が、昭和9年発行の神田紫芳編集「図解手品の種明し」の「自由自在の輪抜けの奇術」です。ところで、Toy Boxの発行の後での再調査で、修正を必要とする部分が見つかりました。「図解手品の種明し」は明治44年や大正元年に発行された神田紫芳編集「世界奇術手品大会」の本、さらには、明治44年に同編集者による「世界手品お伽会」の本とほぼ同じ内容の改題本であることが分かりました。ただし、3作品少ない掲載になっているようです。このことは2020年10月発行の河合勝・長野栄俊・森下洋平著「近代日本奇術文化史」により知ることができました。つまり、明治・大正時代に解説された本があったわけです。しかし、この本の解説は簡単な記載だけで、私が期待したリングの解説とは大幅に違っていました。明治・大正といえば海外では1876年の「モダンマジック」や1902年の”The Modern Conjurer”の本に、それぞれ8ページほどのリングの解説があります。それらの本を部分的に翻訳された本が数冊発行されているのですが、その中にリンキングリングの翻訳があるのではないかと気になっていました。現段階ではそれらの中に解説されているのを見つけることができていません。これらは今後も継続した調査の必要を感じました。
「日本奇術文化史」の発行年に関してですが、公益社団法人日本奇術協会から2016年に発行されましたが、2017年には東京堂出版より若干の加筆修正されて発行されています。2021年1月発行のToy Box最終号下巻の私の記事の中の2カ所で、「日本奇術文化史」の発行年を間違って記載していたことが分かりました。参考文献の部分では2017年と記載し、69ページの上部の文中では2011年発行と誤記していました。2016年が正しい発行年となります。あらためてお詫び申し上げます。
インターネットの発達により原案の調査がしやすくなりましたが、まだまだ一部分に限られています。20世紀に考えられたマジック商品に関しては、雑誌の広告欄に何年に初掲載されたかを調べる面倒さがあります。興味のあるマジック分野であれば、結構早く原案を見つけ出すことができますが、予想外の結果のこともあります。自分の記憶が間違っていたり、間違って伝わっていることもあり、自分の記憶が正しいと過信せずに、当時の資料などを調べ直す手間を惜しまないことに気づかされます。以前は日本の昔のことを調べようと思っても分からないことばかりでした。しかし、最近では「日本奇術文化史」や「日本近代奇術文化史」、そして、松山光伸著「実証・日本の手品史」により、正確で詳しい内容が分かるようになり大変助かっています。
なお、クレジットに関しては、2020年10月にスクリプト・マヌーヴァ社からハラパン・オング著”To Your Credit”の日本語版が星野泰佑訳にて無料公開されました。マジックを発表する際のクレジットの問題を取り上げられており、クレジットはなぜ必要かなどが報告されています。是非読まれることをお勧めします。私の場合は、誰が原案者であるかだけでなく、それ以上に、原案がどのような内容であり、その後、誰によりどのような改良がされたのかにも興味がわきます。