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コラム

第113回 片倉雄一とマイク・スキナーの演技(2023.10.26up)

はじめに

キレイでスマートに演じたいと誰もが思います。コメディーやメンタルマジックを演じるのであれば別です。キレイさのこだわりを持ったクロースアップ・マジシャンで最初に思いうかぶのが、海外ではマイク・スキナー、日本では片倉雄一氏です。クロースアップに限定しなければスピリット百瀬氏もキレイなハンドリングで模範的な見せ方をされていました。

2023年9月には印象的な2つの出来事がありました。9月10日には「誰得奇術研究 7」が片倉雄一特集号として発行され、9月18日には「スピリット百瀬をしのぶ祭」が開催されました。片倉氏は亡くなられて30年が経過し、百瀬氏は3年が経過していました。2021年発行の百瀬氏の「酔いどれ奇術師放浪記」を2023年9月16日に購入しました。9月18日の「スピリット百瀬をしのぶ祭」には参加できませんでしたので、彼の自伝的な著書を購入して読むことにしました。読み始めると止まらなくなり、一気に最後まで読み終えてしまう面白さがありました。そして、「誰得奇術研究 7」の片倉雄一特集記事も同様で、読み始めると止まらなくなりました。2冊とも1970年代から80年代のことが中心に書かれていたからです。私がマジックの習得に最も熱中していた時期です。そのような70年代最初に来日され大きな影響を与えたマジシャンがマイク・スキナーであったわけです。「誰得奇術研究 7」の中で栗田研氏は、片倉氏の操作を「マイク・スキナーのようなキレイなハンドリング」と呼ばれ、その後「片倉タッチ」とも呼ばれるようになったと報告されていました。

スピリット百瀬氏と「酔いどれ奇術師放浪記」

2021年発行の「酔いどれ奇術師放浪記」ですが、SAMジャパン機関誌に辻井孝明氏が1993年から約2年間連載されたものです。それを加筆訂正されて1冊に再編集された著書です。私も連載当時は断続的には読んでいましたが、今回の1冊にまとめられた著書を読みますと以前以上の感激がありました。すごいと思ったことが、マジックと関わる最初が澤浩氏で、その後、石田天海氏の影響を受け、東京時代には高木重朗氏から指導を受けられていたことです。面白いと思った話が、1980年代は完全にマジック界から離れ、90年頃に戻ってきた時にはMrマリック氏の影響で別世界に変わっていたことです。新時代で育ったマニアには、カードの基本技法のパームやパスやスチールとは無縁の世界になっていました。これらの技法を使ったことを感づかれないためにはかなりの練習量が必要です。そのために敬遠される状況になっていました。百瀬氏がそれらの技法だけを使ったマジックを見せると、あまりの不思議さにポカンと口が開いたままになっていたと書かれていたのが印象的です。もちろん、それらの技法を使ったと思わせない力量があってのことです。

百瀬氏の得意演技が四つ玉であったことも意外でした。シルク、ロープ、カード、そしてカード投げの印象が強かったからです。四つ玉が得意であったことにより一つの謎が解けました。FISM 2012年のマニピュレーション部門2位を獲得された韓国のルーカスが、2013年8月のUGM大会にゲスト出演された時のことです。レクチャーでのボールの扱いで誰もが驚く操作をされました。質問タイムでは、その操作の元になるのがあるのかを尋ねられ、韓国に来られた日本の講師からであるとだけ答えられました。すぐには名前が出て来なかったようです。私の中では誰のことなのかの謎が残ったままでした。その操作が日本では知られておらず、韓国で発展していたわけです。今回の著書を読んだ後でネット上での「スピリット百瀬備忘録」の「あしあと」を見ると意外なことが書かれていました。百瀬氏が2006年に韓国の大学のマジック学科講師として招聘され、2007年には名誉教授に任命されていました。謎の人物は百瀬氏の可能性が高いと思いました。著書によると百瀬氏がマジックに興味を持つきっかけが、卓球場での澤浩氏によるピンポン球の消失と増加です。その後、澤浩氏より四つ玉を教わっていました。

私は何度か百瀬氏のレクチャーを受けましたが、重要な基本的なことを話されるので毎回勉強になりました。レクチャーを受ける度に基本の重要性を再認識させられます。また、百瀬氏の指導を長年受けてこられた能勢裕理江さんの演技は、何回繰り返し見ても飽きることなく素晴らしさが伝わってきます。

マイク・スキナーの素晴らしさ

マイク・スキナーは素晴らしいと聞いたマニアが、彼の演技を見ても大したことないと思うかもしれません。知っている作品を普通に演じているように見えるからです。しかし、よく見ると彼の独特の改良と見せ方をされています。特に現象が起こるときの「間」の取り方が独特です。また、演目もマニアのためのマジックではなく、一般客を楽しませるためのマジックで、派手さよりも心地よいマジックです。レストラン向きのマジックと言えます。同じマジックを同じ「間」で演じてもマイク・スキナーとは別物でダラダラした退屈なマジックになりかねません。彼の雰囲気や長年の練習の成果が演技に影響を与えています。彼は1970年代後半から亡くなる1998年までの20年ほどをラスベガスのゴールデンナゲットのレストランマジシャンとして務めていました。高級な中華料理店と庶民的なイタリアンの店で演じられていたそうです。

彼は学生時代からデックを常に持ち歩いて練習を続け、東海岸のエディー・フェクター(バーマジシャンで1971年からのFFFFの創立者)にあこがれ、影響を大きく受けます。1960年代中頃には西海岸のハリウッド・マジックに勤めます。店の本をすべて読み、マジック・キャッスルのバーノンを師として研鑽します。MagicPediaの記載によると、1970年頃のレパートリー数が936で、キャッスルに1週間出演した時の28回のショーを全て違う内容で演じたことが大きな話題になります。そして、キャッスルの近くに住んでいた時にはデビッド・ロスと部屋をシェアしていました。2000年12月2日の厚川賞パーティーのゲストで来日されたデビッド・ロスに、同じくゲスト出演された宮中桂煥氏がマイク・スキナーについて教わった興味深い話があります。デビッド・ロスが外出する時に、部屋でマイク・スキナーはリフルシャフルをしていました。デビッドが帰宅すると、マイクはまだリフルシャフルを続けていました。延々とリフルシャフルの練習を続けていたのか聞くと、パームの練習と答えたそうです。パームしながらリフルシャフルを続けていたわけです。カードが手のひらに馴染むまで徹底的に繰り返していました。

マイク・スキナーのマニア殺しマジック

彼の演技の基本は一般客のためのマジックです。しかし、マニアが多い場合には、演目の一つにマニアックなものを含めることがあります。それを完璧に演じられるのでマニア殺しとも言えます。1973年12月の大阪レクチャーでディングルの「ロール・オーバー・エーセス」が演じられました。当時の日本では、まだ誰も知らなかったマジックです。今回のコラムのために東京と名古屋での演目を調べますと「ロール・オーバー・エーセス」は演じられておらず、大阪だけ演じられたようです。名古屋と東京の報告は松浦天海氏が「東海マジシャン」No.131に、さらに、東京の報告を片倉雄一氏の「片倉メモ」に記載されています。「片倉メモ」は1972年や73年頃の片倉氏のノートが見つかり、2023年に発行されています。レクチャーの演目数が多いだけでなく、「ロール・オーバー・エーセス」を失敗せずに完璧に演じるのには精神的負担が大きいのかもせれません。彼は心の病を長年持ち続けたマジシャンでした。

この時の「ロール・オーバー・エーセス」を見た宮中桂煥氏の話では、会場内は大きなドヨメキが湧き上がったそうです。4Aをデックの中へバラバラに入れて、デックをトライアンフのように表裏がバラバラになるようにリフルシャフルしています。シャフルは4回繰り返すことになります。そして、横向きのデックを手前へ回転させるとAがマットの上に現れ、さらに手前へ回転させると次々にAが現れます。4枚のAがマット上に並んだ状態で、残りのデックを横にスプレッドすると全てが裏向きに揃っています。「4Aよりも強いポーカーの手は」と言って、一つのAの上へ四指を置き、客席に顔を向けたままの背すじが伸びた状態でAを横へスライドさせます。すると5枚となり、スプレッドされた同マークのロイヤルストレートフラッシュが示されます。他の三つのAも同様に横へスライドして同様な5枚ずつを示すことになります。Aの出現は少し離れて見ていたためか1枚ずつのAが現れたとしか見えず、姿勢が良い状態で、各Aをロイヤルストレートフラッシュにしていたのがカッコよく見えたそうです。リフルシャフルがキレイで、クライマックスを見せる前の「間」も良かったのかもしれません。

かなり後になって来日した海外ゲストが「ロール・オーバー・エーセス」を演じていました。特別な4回のリフルシャフルを行うのがたいへんでかなりの時間を要します。そこで、その時間を測らせて短時間で行うことにチャレンジしていました。残念ながらキレイさとは無縁のものでした。もちろん所要時間は短い方がよいのですが、それだけでなくキレイで優雅に行って魅了させることも重要だと思いました。

私がマイク・スキナーの演技を直接見たのは1983年のIBMハワイ大会です。一番受けていたのは、ゲスト出演されていた澤浩氏ですが、マイク・スキナーの演技の素晴らしさにも感激しました。品があり、心地よさがあります。どうだうまいだろうというのがありません。それでも、一般客向けの作品が演じられた中で、1つだけマニア殺しのマジックが演じられました。「イレブンカード・トリック」です。青裏デックから11枚のカードを演者の手に配らせ、数えると10枚しかありません。1枚加えても10枚しかない現象を繰り返し、3枚加えて13枚にして2枚を戻すと、今度は毎回13枚になります。このような現象を繰り返し、最後にはやっと11枚になります。ここで終わったと思っていますと、11枚全てのカードの裏の色が赤色に変わっていました。フォールスカウントがうまいので見とれていたのですが、最後の結末が衝撃的でした。もちろん、パケットのスイッチではなく、無理のない方法が使われていました。

マイク・スキナーはキレイさを重視されていますが、それが裏目に出ることもあります。スライディーニのシルクの解ける結び目の演技です。うまさとキレイさではスライディーニより上だと思います。しかし、スライディーニのぎこちなさと、強弱や緩急の落差により、強烈な記憶が後々まで残ります。キレイさは重要ですが、それだけでなくマジックやマジシャンに合ったスタイルが重要だと思います。マイク・スキナーは彼の性格のためか心の病を持ち続け苦労することになります。それでも晩年の20年ほどをレストラン・マジシャンとして続けられたことがすごいことだと思います。

片倉雄一氏の「ダブルショック」

片倉雄一と言えば「ダブルショック」です。何度も片倉氏の演技を見る機会がありましたが、必ず「ダブルショック」を演じられていました。デックの中程から取り出された4枚のカードが、またたくまに4枚のキングに変化し、さらに4枚のエースに変化します。美しく流れるようなハンドリングが見事です。ゆうきとも氏主催の「ゆったりとクロースアップ」が2013年6月に開催された時に、和田祐治氏がゲスト出演されました。和田氏は片倉氏から直接手ほどきを受けられており、「ダブルショック」の個人指導を受けた時の話をされました。かなり練習された状態で見せてもダメ出しのオンパレードであったそうです。それだけこだわりを持っていたからこそ怪しさを感じさせずにスマートに演じられていたことが納得できました。誰得奇術研究7号の「ダブルショック」に関する部分では、片倉氏が「ダブルショック」をひたすら練習し、売り場にいた安田明生氏はその練習量に呆れるほどだったとのことです。名刺がわりに演じるのが「ダブルショック」になっていました。ところが、1989年頃にはマジックに対する姿勢が変わったのか「セットが必要になるのであまり演じていない」と言っていたことも報告されていました。1990年4月14日には大阪で片倉レクチャーが行われましたが、「ダブルショック」が演じられませんでした。

1978年大阪での片倉レクチャー

1978年4月2日に大阪で「平田治民・片倉雄一ジョイントレクチャー」が開催されています。最初に「ダブルショック」が演じられ、全部で16作品のレクチャーをされました。「オープン・トラベラー」、2種類の「コインアセンブリー」、「ゴールド・フィンガー」、「ODD カードミステリー」と改案、「ジョーカー・ワイルド」と改案、「RUB」、「地下鉄コイン」(澤浩氏のサブマリンコインの改案)、「リングとロープ」、「指から抜けるロープ」、「ナットとロープ」、「一致するカード」、「マッチングカード」です。テクニックを使うマジックが中心で、うまさとキレイさが印象的でした。なお、この時に3枚のA4用紙を半分に折っただけのレクチャーノートも制作されていました。

ところで、私のメモでは最後がセルフワーキングのレクチャーでした。テクニカルなマジックの中で何故かのセルフワーキングです。その頃の私はセルフワーキングマジックが大嫌いでした。こんなのが存在するためにマジック嫌いになる人が増えると思っていたほどです。ダラダラ時間がかかるだけでなく現象が面白くなく、セットが多いことが嫌いでした。レクチャーされたセルフワーキングはニック・トロストの絵札使用による「マッチングカード」の改案です。嫌いなセルフワーキングですが、その準備段階に興味がひかれました。分かりやすい配列で四角に並べ、順番にカードを取り上げて重ねるのですが明らかにバラバラ状態です。この準備段階は本来見せない部分ですが、タネが分かっていても予想を超える変化が自動的に起こりました。その後、海外の文献でも調べましたが、この準備方法は片倉氏独自の方法のようです。セルフワーキングは嫌いですが、その元になる原理は面白いと考えが変わるきっかけの一つになりました。

1983年の箱根クロースアップ祭にて

1983年4月2日~3日にマジックランド主催「第2回箱根クロースアップ祭」が開催されました。海外ゲストはダロー”Daryl”氏ですが、日本からは澤浩氏や片倉氏など多数のゲストが出演されました。ダロー氏も澤浩氏もショーやレクチャーが最高でした。しかし、それ以上に記憶に強く残っているのが夜の部屋での交流です。一つの部屋で澤氏と片倉氏が交互に演技の見せ合いが始まり、その部屋は人でいっぱいになりました。片倉氏のコインのラブ・バニッシュや両手がカラに見せる方法がキレイで素晴らしく、澤氏も彼に対抗する中で秘密兵器とも言えるコインボックスを取り出しました。コインボックスを満員電車に見立てて、プッシュマンが無理やりコインを押し込んだり、コインボックスから多数のコインがあふれ出て、まき散らしながら発車する演出です。ありえない笑える現象ですが不思議さも強く大いに盛り上がりました。そこへ大先輩でもある松浦天海氏が参戦し、彼らに負けまいと演じられていたのが懐かしい思い出となりました。

片倉氏のレクチャーでは、特に印象に残っているのがジェニングスの「ファイナルタッチ」の改案です。この原案は加藤英夫著「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」に解説されています。意外性が強く、演じてみたい作品ですが、最後にパームを使うために敬遠してしまう作品でした。その見せ方を大幅に変えて、パームも不要な頭の良い改良に感激し詳細にメモしていました。「水と油」も特別なカウントを使わず、シンプルで楽に行える作品をレクチャーされました。つまり片倉氏は、徹底的に練習してキレイに見せるだけでなく、作品自体も演じやすくする改案のスペシャリストだと思いました。

1990年大阪での片倉レクチャー

1990年4月14日に大阪で「トリックス大阪開店記念片倉レクチャー」が開催されています。紅白まだらロープの商品を使った手順、独特なタッチの4Aオープナー、4Aだけを使ったマジックなどです。4Aだけの使用では、「日はまた昇る」と「愛情をとるかお金をとるか」が演じられました。正式な名称は分かりませんが、私のメモでの記載です。前者は赤A2枚を昼の太陽に見立て、夜の黒A2枚の下へ置いてもトップからの出現を繰り返す現象で、後者は「Dr. ダレイのラスト・トリック」の改案です。この「ラスト・トリック」では、ディスクレパンシーを使って方法を単純化されていたことが見事としか言いようがありません。ディスクレパンシーは矛盾がある操作を、それに気付かせずに手順全体をシンプルにする考えです。その感激を私のノートには書いていたのですが、私がレパートリーにしている別の方法があったのですっかり忘れていました。かなり後になって、宮中桂煥氏と「ラスト・トリック」が話題になった時に、宮中氏が気に入っている片倉氏の方法を見せられて、再度、その素晴らしさに感激しました。この方法は宮中桂煥著「図解カードマジック大事典」378ページに解説されています。

おわりに

片倉氏が1978年のマイク・スキナー・レクチャーを受けた時の印象は、それほどではなかったようです。しかし、うまかったと書き加えられています。そのレクチャーの内容と感想が今年発行の「片倉ノート」に記録されています。新しい現象やテクニックを期待されていたのかもしれません。それでも、宮中桂煥氏が片倉氏と会われた時に目標とされているマジシャンを伺うと、マイク・スキナーとはっきり答えられたことが記憶に強く残っているそうです。お二人には似た点があり、演技のキレイさにはこだわりがあり、そのための練習はかなりのものだったと思います。演技は穏やかで、いいムードがあります。残念なことは、お二人とも心の病を持っていたことです。ただし、練習での頑張りは心の負担ではなかったのかもしれません。片倉氏の演技をまだまだ見たかったのですが、38才というあまりにも早い死が残念でなりません。

Michael Skinner  1941年8月9日~1998年9月3日(57才)

スピリット百瀬  1947年12月11日~2020年5月4日(72才)

片倉雄一     1955年5月某日~1993年11月8日(38才)

参考文献

1974 松浦天海 東海マジシャンNo.131 (1月)マイク・スキナー・レクチャー鑑賞記

1978 片倉雄一 レクチャーノート

1990 Bart Whaley Who’s Who in Magic Michael Skinner

1993 辻井孝明 SAMジャパンMUM連載 酔いどれ奇術師放浪記

1996 Michael Skinner Classic Sampler Profile

2000 Genii 11月号 Michael Skinner特集

2015 宮中桂煥 図解カードマジック大事典 片倉のラスト・トリック

2021 辻井孝明 スピリット百瀬の酔いどれ奇術師放浪記

2023 和泉圭佑編集 片倉メモ マイク・スキナー・レクチャー報告

2023 和泉圭佑編集 誰得奇術研究7 片倉雄一特集


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