前回の続き。観客が鑑賞に集中できないノイズを排除するという話をしましたが、例えば、大学のクラブの発表会では、シンブルを捨て箱に捨てて、また直ぐに1本、取ってくるというのをよく見かけます。一旦、置いたものを取ってくることは問題無いとの考えのようですが、何故、指に填まっている4本を捨てて、新たに同じに見える1本を取ってくるのでしょう?3本だけ捨てて、1本残せばいいのでは?見ていて違和感があり、疑問を抱かせます。
社会人のマジック・クラブの人に、「何故そこで、その道具を使うの?」「何故、そのバラバラな配色なの?」と聞くと、持っているだけで使わないと損だからという答えが返ってきます。中国製の粗悪なアルミのバニシング・ケーンを使っていた人は、完全に縮まらないので種明かしの演技になってしまいます。ケーンを消す場合はスピードが必要なので、金属製か少なくともプラスチック製を使うべきだと言っても、「老い先、長くないから新しいものを買っても再び使う機会がない」との返答。こういった方たちに箪笥預金を使わせることが日本経済活性化に繋がると思っているのですが...。
監督: 真船禎
脚本: 石倉保志
出演:藤田朋子(坂口弓子)、清水真実(友部恵美)、大谷直子(友部明代)、上杉祥三(植木周作)
製作:NTV
放送:1996年5月7日21時2分~22時54分
このドラマのマジック指導をしたきっかけは、私が勤めていた会社の人で、旦那さんがテレビのプロデューサーをやっていた方がおり、マジックのシーンが必要だということで、私のところへ話が来ました。ちょうどその頃、荒木経惟による藤田朋子の写真集「遠野小説」の出版差し止め訴訟があり、降板にならないかハラハラしました。
児童福祉司の坂口は寺の境内で保護された口をきかない少女の対応をします。その少女、恵美の気を引くために、坂口は手品を見せますが無反応です。シルクを示して拳に入れると万国旗が出てくるという現象で、「ルパン三世 カリオストロの城」にちょっとあやかりました(空の手から花を出すことを役者にさせるのは難しかったので、そこは断念しました)。
最初は都内のテレビ局へ行き、いくつかマジックの候補を見せ、実際の撮影は千歳船橋のスタジオで行われ、立ち会いました。脚本にはドラマの冒頭で坂口が他の男の子に手品を見せ、それにより子供と打ち解けるというシーンがあり、撮影はされましたが編集でカットされました。寺で保護された日に、建設現場で不良のリーダーが死んでいるという事件が発生し、恵美が関係していると疑われます。実は恵美は多重人格障害で、別の人格になっている間は記憶を失っています。記憶が無いことを隠すために嘘をつき、記憶が無いことを取り繕うとします。原因はいじめがきっかけのように見え、又、幼い時に義理の弟を事故で亡くした体験が影響しているようで、坂口は色々と周辺の人に話を聞き、多重人格障害を治そうとしますが...。題名の「歪んだ果実」というのは、少女を若いりんごに例え、多重人格で育っても歪んだりんごになってしまうというところから由来しています。
YouTubeで“火曜サスペンス劇場、歪んだ果実”で検索すると終わりのところを見ることができます(奇術指導として私の名前が入っています)。又、私は見ていませんが、番組の番宣でも藤田朋子はこのトリックを演じたようです。以下は、「映像の過去表現のつくられかた: 微視的分析」(J-STAGE:文部科学省所管の国立研究開発法人科学技術振興機構が運営する電子ジャーナルの無料公開システムに飛びます)という論文で、映像での回想シーンの表現方法について色々な視点から解析しています。これの4ページのところに「歪んだ果実」が例として取り上げられています。映像表現や編集テクニックに興味のある方は読んでみてください。このようなシーンのある映画やドラマは無限にあり、もっと有名な作品を取り上げればいいのに、何故これを選んだのかは謎です。
以下は論文で例として取り上げられたシーンのシナリオです。対比して見るとシナリオと実際に撮影されたものがどのように違うか見ることができるでしょう。
次回は火曜サスペンスっぽい映画ということで、「冷たい月を抱く女」を紹介します。
1) 青山征彦:「映像の過去表現のつくられかた : 微視的分析」『認知科学 Vol.7 No.3』(日本認知科学会, 2000) p.241
2) 栗田研:「映像の魔術 歪んだ果実」『Four of a Kind Vol.2 No.3』(チェシャ猫商会, 1998) p.64