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松旭斎天一の生涯 【フレンチドロップ図書室】

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ジャンル 書籍 / テーマ別
シリーズ フレンチドロップ図書室
価格 ¥ 2,500
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「日本近代奇術の祖」であり、松旭斎派の祖。

西洋奇術をアメリカ人奇術師ジョネスに学び、明治22年(1889年)、明治天皇御前公演で政財界の知遇を得、奇術界の第一人者となりました。

そんな彼の生い立ちから晩年まで記されています。 興味深いエピソードが盛りだくさんです。

出版年:1976年
発行者:品川一雄
発行所:品川書店
176ページ

初代松旭斎 天一(しょうきょくさい てんいち、1853年3月11日(嘉永6年2月2日) - 1912年(明治45年)6月14日[1])は、日本の奇術師である。福井城下(現在の福井県福井市)生まれ。本名は服部 松旭(はっとり しょうきょく)、幼名は牧野 八之助(まきの はちのすけ)。



人はよく他人の生涯を知りたがって、その人となりを調べて、わが事のようにわかったなどというが、じつは、このことをふかく考えると、なかなかにむずかしいことだという気がしないでもない。自分自身でさえよくわからぬ人間が、どうして他人のことが、それほどわかる道理があろう。自分もふくめて、人はみな不可解なものをいっぱいつめこんで生きて、死んでゆく。自分自身もわからぬままに亡びてゆく。そういってしまえば、それでまたわかるような気がするのだが、しかし、いくら不可解な人間であるにしても、あいつは面白いやつだから、よく調べてみて、あいつのことを知りたいと願うのが人情である。情というよりは業といっていいかもしれない。業がふかければふかいほど執拗な追跡がはじまる。青園謙三郎氏の「松旭斎天一の生涯」一は正しく、その業をみせる快著といっていいだろう。青園氏にとって、他人であるはずの天一が、その執念の踏査により、当人が知らなかったと思われることまで調べあげられて、みごとな人間記録は、その「伝」として完了している。

松旭斎天一は、福井藩士牧野海平の子として嘉永六年に生れたが、幼少時に両親を失なって、叔父にあたる阿波国西光寺の住職唯阿の弟子となって佛門に入った。のち同国安楽寺に預けられ、そこで剣渡り、火渡りなどの真言秘密の術を習練して出奔、あるいは旅芸人のむれに入って水芸をおぼえるなど、いわゆる奇術を身につけ、やがてアメリカにゆき、西洋奇術をまなんで帰国後、松旭斎一座をひきいて全国を巡演する大芸人になった有名な天勝はその弟子であり愛人である。こう書いただけで、数奇な人の生涯に興味をもつのであるが、青園氏はこの天一と同郷であり、同じ佛門出身だったという親しさから、ふとしたことで名を知って、天一調査に乗りだし、約二十年の歳月をかたむけるのである。業というのは、このことであって、じつは、ぼくは、この尋常でない情熱が、この著を出色の伝とした所以だと思っている。

例によって青園氏は実証主義である。事実の踏査が本領だから、まちがいだらけの天一伝に米を入れてゆき、意外な事実を、聞書きや調査でひき出すのである。たとえばそれは、天一の父の家が断絶となる原因は、腰元との姦通が因だというようなことだが、このようなかくれた事実をひき出すことで、みごとに天一の性格や思想の根をあぶり出してくる。青園氏の独壇場の語りというしかない。興味津々とはこういうこというのであって、天一がもし墓場の下でこれを繙といたら、とんでもない調査魔が現れて、裸身にされたわが身をどうその奇術でかくし終うせたか。はなはだ関心がふかまる。また、この著の手柄は、たくまずして日本大道芸人史の一端をになうに足る史料を提供していることである。読者はこの本で、旅にあけくれた一芸人が、飯坂温泉の旅寓でことされるあたりで、草民の孤独な苦闘史を見るのも自由だが、ぼくは、天一の生涯を辿ることによって、明治草民史のなかで、もっとも欠けていた芸人史の一端がこれで切りひらかれたことに瞠目している。青園氏はまたまたぼくらの郷土に、快著をもたらした。序を讃辞に代える所以である。


水上勉


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